月曜日

昨夜は2016年に公開されたアニメ「君の名は」を、テレビで観ました。

でも、ちゃんと観ていたのに、筋が理解出ないままアニメは終わってしまいました。

今日、パソコンで「アニメ『君の名は』のあらすじ」と検索して、あらすじを調べ、読みましたが、まだ理解できませんでした。

こんな難解なアニメがよく世界でヒットしたものです。

理解できないのは私だけなのでしょうか?

もし、男から女に入れ替わったら、箪笥の何処にパンティーがあるのかとか、生理用品はどうするとか、困ることだらけでしょうね。

えっ、私の考え過ぎ・・私はそういう細かい所が気になるんですよね。

テレビドラマ「相棒」の、杉下右京の様にね。

よくブログを書いていて、人に言われます。

「もっと短くしなさい。どうでも良いことはカットしなさい」と。

この「君の名は」も、もっと整理した方が良いと、私は思いました。 

今日の歩数は1,538歩で、1.1km。

今日の出費 

ライフ (インスタントコーヒー・ボイルあさり・生サバ・バナナ・ホットケーキミックスかつおパック)  1,475円

もう、1年の折り返しを迎えました。

これから、夏が来ます。 元気に乗り越えましょう。

みなさんが健康で、幸せな日々を過ごせますように。

Fさん、投稿、ありがとうございました。

ブログを初めて15年ですか。早いですね。

秋に大阪に来られるとか。 楽しみですね。

Fさんが関東なのは分かりますが、東京ですか?

お土産は何が良いか、今から、ゆっくり、考えさせて頂きます。

「かけふの履歴書」

誠のマスター(故人)には本当に、世話になりました。

マスターは、凄くユニークで愛すべき人でした。

そのマスターを忍んで、今日は、マスターから聞いた話を書きます。

マスターが10代の頃、お父さんに生駒に連れて行かれたそうです。

生駒は、今はどうか知りませんが、昔は遊郭がありました。

その、遊郭に連れて行かれ、マスターは筆おろしをしたそうです。

この話を聞いた時、私は感動しました。

お父さんがお金を出して、息子の筆おろしを頼むなんて、粋なお父さんだと思いませんか。

大阪や、奈良に住んでいる人達で、生駒山頂の遊園地に行ったことがある人は多いと思います。

でも、山頂に行く中腹に、こんもりした森が開け、お寺や、料理屋があるのを知っておられるでしょうか?。

私が行ったのは50年前ですが、多分、そこの一角に遊郭があったものと思われます。

    歌 「女町エレジー」 の 動画

マスターのお父さんは、大阪の大きなゼネコンに務めていたか、コネがあったかどうかは、知りませんが、東京の劇団に籍を置いていたマスターを、大阪に呼び戻し、ゼネコン関係の会社に入れたようです。

その後、どういう経緯からか、結婚もしたそうです。

女とセックスが出来ないマスターは、夜明けの朝勃ちを利用して、挿入をしていたそうです。

つまり、悲しいかな、義理マンです。

その後、離婚。 

奥さん(ナース)は香川に帰って行ったそうです。

私が初めてマスターと会った頃は、マスターは結構スマートで、ハンサム。

垢ぬけした感じのインテリで、色気がありました。

そして、ちょっとヤンチャ、でした。

マスターとは肉体関係は全くなしですが、嫌いなタイプではありませんでした。

そのマスターのお父さんが亡くなり、姉3人と、マスターの4人で、お父さんの遺体をアルコールで清拭した時のことだそうです。

全裸のお父さんの遺体のペニスを、姉の一人が手のひらの上に乗せ、手を上げ下げして重さを量り、女3人で目配せをし合っていたそうです。

助平顔で、意味ありげにほほ笑んでいたそうです。

「大きいね。うちの旦那と大違い」と、云った感じで。

それくらい、お父さんのペニスはビッグサイズで、形が良かったそうです。

マスターのペニスは1度も見たことがありませんでしたが多分、お父さんの血を引いて人並み以上に大きいのだろうなと、私は想像をしていました。

そのマスターも、Hさんと言う年上の小柄な人と出会い、同棲。

そのHさんが、ゲイスナックを始めると、マスターも仕事を辞め、店を手伝い出した様です。

この頃は、ゲイの世界が全盛で、一晩にビールケースが2、3ケース空いていたそうです。

私が誠に行きだした当時は、Hさんが会社勤めを始め、マスターが、誠のマスターとしてスタートして間もない頃だと、思われます。

Hさんは、九州出身でマスターより年上でした。

Hさんは小学校の頃から家の手伝いをし、飯を炊いたりしていた、苦労人だそうです。

2人の間に、愛があるから、時々、派手な喧嘩もしていた様です。

お互いにパートナー以外に男を作っては、お互いに焼き餅を焼いていました。

マスターは美空ひばりと同じ、大腿骨骨頭壊死を患い、両方の足を手術しました。

また、マスターは店が終わってからまだ、他の店で朝まで飲み続けるような人だったので、糖尿病などで入退院を繰り返していました。

入院中はHさんが、こまめに世話をしていました。

長期入院になり、院内感染(黄色ブドウ球菌)をした時点で、「マスターの病気が移る、怖い」と言うことでマスターの3人の姉は、Hさんに全てを任せ、身を引いてしまいました。 

絶縁です。

マスターはそれから、3ヶ月ごとに病院を転々として、68才くらいで亡くなりました。

私は後半、ちょっと不義理をしたことが悔やまれます。

マスターは昭和19年12月30日生まれだったので、今、健在だったら73才くらいでしょうか?

生前、マスターが言っていました。

「占い師に、何時まで生きるか聞いたら、2人の占い師が「72才まで大丈夫だ」と言ったよ。だから72までは大丈夫だ」と。

でも、不節生をしたら、早く死んでも仕方ないです。

でも、でも、マスターは短い人生を充分楽しんで駆け抜けて行ったので、満足かもしれません。

                 つづく