月曜日

Aちゃんは6月28日(土)に、室生寺の近くにあるホタル観賞スポットに、行って来たそうです。

老人会の主催で、参加者は20人。マイクロバス。

夕食を済ませた後、外は大雨に。

大雨の中、農道をマイクロバスで走ったとか。

現地に着くと、雨は止み、何万匹(数数えない程の)もの蛍の乱舞。

大阪市東住吉区で育ったAちゃんは、初めて蛍を見たそうです。

蛍の幻想的な乱舞に、Aちゃんは魂を奪われるほどの感動をしたそうです。

Aちゃんは自己紹介をする時に、「私は吉永小百合と同じ年です」と、言うそうです。

吉永小百合は、1945年3月13日(火曜日)生まれ。

Aちゃんは、1945年3月5日(月曜日)生まれ。

1945年3月13日にAちゃんのお父さんが、役場にAちゃんの出生届けを出したとか。

この日は深夜から翌日未明にかけて、大空襲。

274機のB−29が飛来。大阪に爆弾を落としたそうです。

市民、10,000人以上が死亡。

「原爆を落とす時の練習として、1トン爆弾も落として行った」と、Aちゃん。

広島、長崎の次に大阪に、原爆を落とす予定だったとか。

空襲の後、Aちゃんの家族は、お父さんの実家(お兄さんの家・兵庫・湯村温泉近辺)に疎開したそうです。

実家に行くと、Aちゃん家族は母屋ではなく、小屋に入れられたとか。

床もない、電気もない小屋。

食べる物も、ままにならない時代。

小屋の中で家族は、肩を寄せ合って過ごしたそうです。

道端に生えている食べれる草を摘んで、みんなで食べたそうです。

頃は6月、終戦間近、兄達が蛍を取りに行き、蛍の光で、お母さんはAちゃんのオムツを換えていたそうです。

ここでAちゃんは、絶句。

ホタル観賞の話から、蛍の光でのオムツ交換の話に、なってしまいました。

みんなから聞いた、疎開先での苦労話(食糧難や差別)を思い出したAちゃんは、絶句。

しばらく沈黙が続き、Aちゃんが「お通夜みたいになったね」と言って、カラオケで歌を唄いました。

この後は香川県で育ったBちゃん(1946年10月6日生まれ)と、Aさんは「しょうゆ豆」や、「はじき豆」の話をしました。

海水浴場で、はじき豆の袋入りを買い、黒ネコに結んで泳いだそうです。

暫く泳いだ後、はじき豆を食べたそうですが、「豆はふやけて、すごく美味しかった」と、Aちゃん。

Bちゃんの話では、7月1日から9月30日まで、スパワールド(新世界の天然温泉)の料金が変わるそうです。

大人は1,200円。こども(12才以下)は1,000円だそうです。

この時、有線で小林幸子の「おもいで酒」が流れました。

この曲を聞いて、Aちゃんが言いました。

「緑橋に『ものまねパブ アラジン』が、あるけれど、そこに小林幸子に顔も声もそっくりな子がいるよ」と。

インターネットで「ものまねアラジン」を調べたら、ありました。

オーナーは、君夕子だそうです。

小林幸子にそっくりな子は、君島遼だそうです。

君島遼動画を、見て下さい。

私は初めて見ましたが、そっくりで、驚きました。