Aさん(60半ば)は、鳴門で生まれ、育ったそうです。
お父さんは明治生まれで、酒も飲まず煙草も吸わず、判で押したように毎日決まった時間(夕方)に仕事から帰って来る人だったとか。
お父さんに何処かに連れて行ってもらったとか、仲良く親子らしい会話をしたことは一度もないそうです。
兄弟は9人。 ちゃんと育ったのは女3人と男3人。
Aさんは末っ子。 兄弟の中で何時も、Aさんだけが、家の手伝いをさされていたそうです。
食事は、お父さんと家を継ぐ嫡男だけは特別。
例えば、お父さんと嫡男が牛肉の場合、それ以外の子はコロッケだったそうです。
ある時、母方のお祖母さん(金持ち)が家に来て、「今夜は私がお金を出すから、すき焼きにしましょう」と、何時もより、どんと多めに牛肉を買いに、Aさんは行かされたそうです。
肉屋に行ったら、「何かの間違いだろう、肉の返品をされても困るから売らない」と言われたそうです。
再度、上のお姉さんが一緒に付いて行ってくれて、やっと、肉屋が肉を売ってくれたそうです。
「あの時の肉は、美味しかった」と、Aさん。
中学からは新聞配達をしたそうです。
「山田太郎の『新聞少年』の歌、知ってる?」と聞いたら、「知ってる」と言い、「僕のアダナを知ってるかい 朝刊太郎と云うんだぜ」と、Aさんは口ずさみました。
Aさんには、子供の頃の事について何か、わだかまりがある様でした。
Aさん(バツ一・独り暮らし)、今は週に3日、働いているそうです。
B君(50半ば)は今日、毎年12月にテレビで放映している、「一万人の第九(合唱)」の録画撮りに参加して来たそうです。
今年の音楽のゲストは「くるり」 朗読は「小栗旬」だったとか。
「一万人の第九」は想像していたのと現実は、大いに違っていたそうです。
朝から夕方まで大阪城ホールに缶詰状態。
トイレは混むは、衣装替えの場所や食事をする場所がなかったそうです。
女性の衣装替えの場所はあったそうですが、男性の場合は、廊下やロビーで下着姿に。
食事は、B君の場合、コンビニ弁当。
食事は、廊下やロビーに新聞など敷いて、床に座って食べたそうです。
3時頃から会場にお客さんが入り、本番。
合唱では、あちこちで音を外して、変な声を出す人がいっぱい、いたそうです。
最後に、各練習会場での練習風景や、集合記念写真のアルバムを3,000円で買わされたそうです。
アルバムを見せてもらったら、B君の顔も、淡路のTちゃんの顔も発見することが出来ました。
今回の大阪城ホールの合唱は、B君にとって、良い経験になったようです。