月曜日 (海の日・祝日)

「かけふの履歴書」

岡ちゃんは、若い頃(小、中・大)は野球少年で、山男でした。

一人で、色んな山に登りに行っていました。

4、5日掛けて山登りに行った時などは、本当に彼が、無事に帰って来るかどうか、もの凄く心配をしました。

そうです、岡ちゃんを知ってから、人を愛することが、どういうことか初めて知りました。

「逢えなくなって初めて知った 海より深い 恋ごころ」

松尾和子の「再会」です。

登山中に斜面を滑落したら、どうしよう等などと、心配をしました。

でも、登山から髭ぼうぼうで無事、帰って来た時は、嬉しかったです。

着ている物を、汗臭いパンツや、靴下を、全て脱がせ、リュックの中の物を全てだし、大洗濯をしたり、重たい登山靴を干したり、その時の私の幸せは、筆舌に尽くしがたいです。 

岡ちゃんとは、愛するがゆえに喧嘩して、愛するがゆえに悲しんで、愛するがゆえに泣きました。

別に岡ちゃんが一人の男として、決して完璧な男ではなかったです。 みんな、そうですが。

でも、岡ちゃんのダメな部分すべてを含めて、岡ちゃんを愛していました。

また、岡ちゃんと一緒に暮らすことによって、私自身の欠点に気付き、反省と共に、悪い所を改めようと努力したことも確かです。

よく、欠点だらけの私と、40年近く一緒に暮らしてくれたと、感謝でいっぱいです。

「俺が、こんなにもお前のことを思っているのに、お前には俺の気持ちが判らんのか?」と、泣きながら叩かれたことを思い出すと、今でも、涙、涙です。

岡ちゃんが旅立ったのは3月4日だから、まだ5ヶ月弱。

まだ、完全には心の生理が出来ていないので、岡ちゃんのことについては詳しいことは書かないで置きます。

2人で暮らしていて、波瀾万丈なことも多々、ありました。

夫婦って、こんなもんだろうなと、思います。

でも、一度も憎んだり、恨んだり、したことはありません。

もし、生まれ変わったとして、岡ちゃんがもし、私を再度、選んでくれたらもう1度、岡ちゃんと苦労をしたいです。

最後に、岡ちゃんと私、2人のセックスについて書きます。

岡ちゃんの新潟出身なので、色白でした。

ペニスは、野球での、うさぎ跳びのせいか、長さも太さもLでした。

亀頭は、ウズラ卵の様にツルツルで、ピンク色でした。

セックスに関しては、岡ちゃんは淡白でした。

岡ちゃんは、お互いに手や、口で出すといったセックスで満足をしていました。

私は大いに、不満足でしたが。

それに、ヒーヒー、ハーハー、なんて言ったことがありません。

セックスはいつも、私がリードをしていました。

セックスではいつも私が上。

アナルセックスはしませんでしたが、岡ちゃんはされるがままに下でジッとしていました。

岡ちゃんとのセックスで、私が好きだったのを書きます。

レズのセックスの貝合わせのゲイ版、兜合わせが好きでした。

勃起したペニスを2本、ゴリゴリ腰を使って押し付けるものです。

これも私が岡ちゃんの上にまたがり、私の右手の親指と人差し指の間に私のペニスを挟み、同じ手の人差し指と中指の間に岡ちゃんのペニスを挟み、2本同時にしごくのです。

「一緒にいこな、一緒にいこな」と、しごきました。

それから、これは前に書いた、逆さ素股です。

岡ちゃんのはLサイズだったので、凄くやりやすく、気持ち良かったです。

岡ちゃんが先に出して、私がまだ出していない時の体位はいつも同じ体位です。

私の好きな体位でした。

私が上向きに寝て、岡ちゃんは私の右に位置します。

岡ちゃんの左足膝を、私の腰の下に入れてもらいます。

これで、岡ちゃんの右手で、私のペニスをしごいててもらいます。

この時、私の乳首をキリキリと強く噛んでもらったら、私のペニスがビンビンに立ちます。

そして最後は、岡ちゃんにキスをしてもらい{口をふさいでもらい)、私はウッ、ウッ、ウッ、ウッ、と射精してフィニッシュでした。

もう、今生では無理ですね。

でも、岡ちゃんと出会えたことで、生まれて来た甲斐がありました。

岡ちゃんには、いくら感謝しても、感謝し尽くせない程の大きな大切な、ものをもらいました。

明日を持って、「かけふの履歴書」は終わります。

次のページに、「かけふ日記」があります。