雑草

一昨年、お客さんから頂いた皐月(一生の春)、かろうじて何とか我が家で生き長らえている。

頂いた時のあの美しい花、青々とした苔の面影は全く無い。

でも、生きている。

そろそろ花の時期だからと肥料をやった。

今日、見ると肥料をやったせいか雑草がいっぱい生えていた。

私のやさしい所か欠点か、雑草が可哀相で抜くことが出来ない。

雑草も一所懸命に生きているのだからと思ってしまう。

琵琶湖に住み着いたブラックバス

これは駆逐しなければならないと思っている。

やさしい心に相反するのだけれど。

日本古来の魚を守らなくてはいけないのだから。

こんなことを考えてみると、皐月の木を守る為に雑草を抜かなければならないということに行き着いてしまう。

やっぱり、あの新鮮な緑色をした雑草を抜かなくてはいけないのかな。

可哀相。

「雑草」という言葉について新聞に書いてあった。

草花の名を知らない無知な人、無教養な人が草花を一把一絡げ(いっぱひとからげ)にいう言葉、というような趣旨のことが書いてあった。

納得。納得。

私のような人間が使う言葉なのだ。

日本の国の草花にはみんな名(学名、通称名)がついているであろうな。

でも、いい歳をして木や草花、野鳥などの名を知らないなんて恥ずかしい限りだと、つくづく思ってしまう。