今日の朝刊に広告が出ていました。
おせち料理の宣伝が ・ ・ ・ 暑い暑い盛りなのに。
A君(50半ば)は、レベルの高いノンケのコーラスに所属しています。
大学で行われていた、「落語の時代考証」の講座にも通っていました。
今は、浄瑠璃を習っていて、今度、発表会のようなものがあるそうです。
今年は「神戸マラソン」にも、「一万人の第九」にも参加するそうです。
何にでも挑戦するA君って、偉いなー、と私は思っています。
しかし、A君、最近は浮いた話が全くありません。
大丈夫なのでしょうか?
介護の仕事をしているB君(40代後半)は、職場でミニコンサートが開催され、B君は歌い手として参加しました。
前回は「高原列車は行く」と、「花(沖縄曲)」を唄いました。
次回は秋なので、「公園の手品師」と、「里の秋」を唄うそうです。
でも、「里の秋」については、何かいわくがある様なことを、知人から言われたそうです。
「どんなこと?」と聞いたら、「よく詩を読んでごらん」と、B君。
詩を読んで、「そうだよね。何でここに『椰子の島』が出て来るんだろう。これって、変だよね。差別の歌?」と、私。
結局、詳しいことをB君が教えてくれなかったので、自分でパソコンで調べることに。
「里の秋」の作詞は斉藤信夫(明治44年〜昭和62年)で、作曲は海沼実。
昭和16年、日米開戦の報を聞き斉藤が愛国心に燃え作詞したのが「星月夜」。
この曲を作曲家海沼に送りましたが、返事はなし。
戦後の昭和23年に、海沼から連絡が入ったそうです。
「『星月夜』の3番と4番の詩を書き替えてくれ」と。
詩を書き替えて、「里の秋」になったそうです。
「里の秋」の 詩
元の歌「星月夜」の2番3番は、次の様な詩だったそうです。
3番
きれいな きれいな 椰子の島
しっかり護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります。
4番
大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります。
だったそうです。
もう直ぐ、終戦記念日。
やっぱり、やっぱり、戦争はダメだよね。
B君は昨日が誕生日。
スパークリングワインを抜いて、みんなでお祝いをしました。
B君には今、好きな人がいます。
その人の誕生日を聞いた時、B君の誕生日を相手に教えたはずなのに、彼からは「おめでとう」の一言もないそうです。
どんまい、どんまい、B君、気にしない、気にしない。