夕方、通り雨。 すごく激しい雨。 お客さん、来てくれるかなと、心配。
Aちゃん、お連れさんと来店。
お連れさん(Bさん)は70過ぎで、かけふの店は初めて。
AちゃんとBさんは1、2年前からの知り合いだとか。
Bさんは28才で結婚したそうですが、男を覚えたのは結婚前。
結婚当初は女とのセックスに戸惑ったそうです。
「その頃は、『しらさぎ』とか、『赤い靴』で飲んでいた」と、Bさん。
子育て中は、ゲイの世界への出入りは中断。
4人の男の子が授かったけれど、成人したのは2人。
今は、年金生活をエンジョイされている様子。
「沖縄以外は全部 行った」と、Bさん。
奥さんの退職金で車を買い、日本全国を夫婦で旅されたとか。
今は、免許証を返納したそうです。
Bさんが働き出した頃の初任給は1万2、3千円くらい。
「その頃は警備会社がなかったので宿直があった。宿直手当は500円だった」と、Bさん。
当時の相場を知らないみんなは、500円にどのくらいの価値があったかチンプンカンプン。
「当時、うどんや蕎麦一杯の値段は60円くらいだったかな」と、誰か。
そうしてみると、当時の500円は今に換算すると、4千円から5千円。
昭和〜平成 値段史のサイト
Bさんの子供の頃、近所の時計屋の息子が梶光夫。
お互いの家を行き来していたそうですが、梶はBさんの家のおやつ(和菓子)が好きで、Bさんは梶の家のおやつ(西洋物)が好きだったそうです。
「梶光夫って、だれ?」と、若い子。
Aちゃんが大阪難波の精華小学校の話を。
「精華小学校には幽霊スポットが2ヶ所あって。縄で囲われていたらしいよ」と。
Bさんのお父さんが精華小学校の卒業生だそうです。
Bさんは本当の浪速っ子。 大阪生まれの大阪育ちだそうです。
今夜は、色んな話で盛り上がり、楽しかったです。
考えてみれば、Bさんが育った頃は映画であった『ALWAYS 三丁目の夕日』の頃だね。