昨日の日記で、訂正があります。
「テレビで初級英会話」と書きましたが、NHKラジオでした。
先生は、松本 亨(まつもと とおる、1913年9月14日 - 1979年6月30日)で、ラジオ英会話の講師を21年間(1951年4月〜1972年3月)務めたそうです。
昨日は花見で昼から飲んだので、家に帰って昼寝をしました。
私は、昼(明るい中)に飲むと、すごく酔ってしまいます。
寝たのは多分、2時間近く。
完全に酔いからさめたのは午後10時頃。
昼寝をしたせいで寝たのは12時過ぎでした。
此の頃、痴呆が始まったのか、一日にしたことが思い出せないことがよくあります。
午前中は何をしたのだろう?
新聞を読んで、図書館で借りた本を読んだかな。
昼から図書館に本を返しに行ったら、図書館は休館。
仕方がないので、返却ポストに本2冊、投函して来ました。
図書館の休館で時間が余ってしまったので、前々から見学してみようと思ったいた加賀屋新田会所跡(大阪市有形文化財・史跡に指定)に行って来ました。 無料。
昭和の初めくらいまで人が住んでいた様ですが、今は無人。
あまり手入れがされていない様で、寂しい感じがしました。
庭園や池、屋敷(台所や蔵も)も一通り見ましたが、東屋の様な所で暫く、ボーッとして来ました。
陽射しが軟らかく、気持ち良かったです。
また、休憩をしに来ようと思いました。 トイレもあるし。
インターネット上のNHKニュースで気になった記事がありました。
それは、「あなたの街も? 都市部に忍び寄る“ 限界集落化 ”」です。
そして“ 限界団地 ”です。
限界集落とは、人口の50%以上が65才以上となり、集落としての機能が成り立たなくなった集落のことだそうです。
それが、都会でも始まっていて切実な問題になって来ている様です。
私の団地でもそうです。
私を含めて独居老人がいっぱいいます。
その人達が病気になる前、なった時、そして、亡くなった時の道筋を考えなくてはいけないと、私は思いますが。
政治家なんて当てになりません。
団塊の世代が老人になると云うのは、戦後間もないベビーブームの頃から判っていた事です。
それに何も手を打たないから後手、後手となっているのです。
あー、こんなこと考えるのは止めよう。
あとは野となれ山となれ・・です。
私は時々、すごく落ち込む時があります。
どんな時か ・・・ それは、自分が小者だ、器が小さい人間だと、思った時です。
此の間、読んだ「乞食の子」ですが、主人公が乞食をして悲惨で、最悪の生活をしている間は、「可哀そうに、可哀そうに」と、一所懸命に読んでいたのに、彼の運が開けて裕福になった途端、私の中に、ねたむ心が出て来たのです。
読む気が失せたのです。
「良かったね、良かったね」と、人の幸せを素直に喜んで上げられない、狭い心の自分もいるのです。
自分に対して、ガッカリです。
あ〜、大きな人間になりたい。
今日の歩数は、2,682歩で、2.0km。
今日の出費 ライフ(食パン・白菜・キョウリ2本・トマト1個・金時豆・大根) 582円
投稿、ありがとうございました。
Yさん、老人部の花見です。
現地に着いたからと云ってウロウロしたりはしません。
一重でも、八重でも、もう、どうでも良いのです。
やったつもりになることに、意義があるのです。
峠を過ぎた姥桜でも、桜なら良いのです。
みんながここと決めてから、レジャーシートを敷いて、直ぐ、みんなは座ってしまいました。
そして座った途端、弁当を広げ、食べていました。
もう、歳です。 これまで何十回と桜は見ているのです。
もう、食い気と、飲むことしか人生の楽しみはないのです。
みんなが無事に帰って来たから、良しと、楽しかったと、しましょう。
F〜さん、イタリア語と、ロシア語以外は?
もう、外国語は止めて、高校講座の日本語を勉強したらどうですか? 結構、面白いですよ。
金田一徳穂、人間味あふれていて、癒されますよ。
それから、BBSの「ぬか漬け」の件ですが、私も浸けていました。
最初の頃は良いのですが、水分がたくさん出て来たり、味が落ちて来た時の手入れが素人には難しいので、止めました。
例え、味が良くても、そうそう毎日、毎日、食べれないし、余ったからと言って他人には上げれないし。
独り暮らしには、無理があると思います。 食材も高いし。
それにしても、スーパーの漬物、高いですよね。
不味い物も結構、あるし。
岡ちゃんは、漬物を食べない人だったので、私一人で食べていました。
塩分の取り過ぎに注意。
話は変わりますが ・・・
一昨年の「やすらぎの郷」は良かったですね。
「やすらぎの刻」、面白くなるのでしょうか?
あ〜、今夜も良い夢が見れますように。
明日も、素晴らしい日でありますように。