昨夜、姉から電話がありました。
「叔父さんが今日、死んだようだよ」と。
誕生日が来ていたら87才。
叔父さんは車椅子になり、それまで入っていた特老から、完全介護の特老に移りました。
そして、余命14日との宣告を受けて病院に入院することになっていましたが、入院をする前に亡くなってしまいました。
時が時なので簡単な葬式を16日(火)にし、瓜破霊園にある焼き場で火葬することになりました。
「私と〇〇(姉の息子)は明日、特老に安置されている叔父さんの最後(死に顔)のお別れに行くけど、どうする?」との電話。
16日の特老での葬式に参加し、火葬場に一緒に行くか?
でもこの日はもう、死に顔は見られない。
それとも、明日一緒に姉息子と特老に行き、死に顔を見て最後のお別れをするか?
それとも、明日も行き、葬式にも行くか?の三者択一。
正直に言うと、どれにも行きたくない感じ。
気が重い。
でも、どれかにするとしたら、「明日、叔父さんに会いに行くことにして、葬式には行かない」と電話で答えました。
亡くなった話を聞いた途端、心の中におもりを抱え込んだよう。 気持ちがふさいでしまいました。
でも、人が死んだらお悔やみに行くのが世の常。
避けては通れない、と自分に言い聞かせて耐えることに。
そして今日の午後2時、姉の息子が運転する車が団地まで迎えに来てくれました。
そして、20分後、叔父さんが入っている特老(堺市)に。
部屋に案内されると、叔父さんは特老の個室のベッドに安置されていました。
シルバーの掛け布団を掛けられて。 室温は21度。
生前はぼやきっぱなしだった叔父さんの安らかな死に顔を見て、私は安堵。
そして、私は岡ちゃんの死に顔を見ることは出来なかったけれど、どこか岡ちゃんの死に顔を偲ばせるような面立ちで、ジンときました。
この時、本当に今日、叔父さんとのお別れに来て良かったと、心が晴れ晴れとしました。
姉は9日にも特老に行き、生前の叔父さんに会っています。
その時は、話しかけると薄目をあける程度で、会話は出来なかったそうです。
でもでも、この時、特老に行く道で姉が運転する車の左横に他車がぶつかって来たとか。
そして左前のライトは外れてブラブラに。
お巡りさんを呼んで、これから特老に行くと話したら、壊れたライトのままで行って来ても良いとのこと。
姉は壊れたライトをガムテープで固定し、その日は特老に行くことが出来たそうです。
そして、相手車が全面的に悪いということで今日は、代車を届けてもらい、代車を息子が運転して来たそうです。
なんと、まんの悪いこと・・と言って、みんなで大笑いをしました。
でも、今日は本当に叔父さんの顔を見れて、良かったです。
そして特老の帰り、「お茶を飲み行こう」と言うことで、駐車場あるファミレスを探しましたが1軒もなし。
レストランや、喫茶店があるイオンモール(堺市鉄砲町)に寄ろうとしましたが、何故か駐車場が満車。
今日は、土曜日で小雨。
仕方がないので住之江公園のガストまで行きました。
そこで、甘い物を食べ、お喋りをしました。
そしてその後、姉と姉の息子とは別れました。
もし、姉が葬式に参加して、むこうが香典を受け取る様だったら、姉が立て替えて私の分を渡して来てくれるとのこと。
面倒見の良い姉には何時も、感謝、感謝です。
済みません。 今日も長々とブログを書いて。
でも、叔父さんは本当に安らかで、天国に行くのだろうなと、私は確信できて嬉しかったです。
私も残りの人生、頑張ろうと思いました。
今日も大阪は曇天で時々、小雨。
今日は何年振りかで甘い物、スーツを食べて、嬉しかったです。 美味しかったです。
姉の息子(バツ一、子供は2人)は、早や50才とのこと。
「あっと言う間だよ、60才は」と言うと、甥っ子は笑っていました。
明日も良い日だと良いですね。
みんなが笑顔で過ごせる一日でありますように。