今、私はすごく、苦労しています(?)。
と云うのは、二十歳で親元を離れ一人暮らしをし、我がままいっぱい、そして意にそわないことは避け、好き放題に生きて来たツケが回って来たようです。
一所懸命、本を読んでいるので一見、世間を良く知っている様に思われるかもしれませんが、仕事を止めてからやっと、自分が何たるかに気付きつつあります。
傾聴の教室に行き、人の話をさえぎることなく聞くことを習い、色々の講習などを受け、ほんと、自分は今まで、自己中で生きて来たのだと最近、分かりました。
人の役に立っている、協調性がある・・と、私は思っていましたが、実際は違っていた様です。
今日、叔父さん夫婦が入居している住宅型有料老人ホームに、姉と一緒に行って、叔父さん、小母さんから色々の話を聞きました。
今の老人ホームに越して来る前、2、3の施設を夫婦で点々としていたそうです。
前の、そして前々の施設で、老人への虐待をいくつも見、内部での告発をし、施設の責任者などにうとまれ、嫌がらせをいっぱい受けて来たそうです。
正義感が強い叔父さんなら、さもありなんって、感じです。
そして、世話焼きの叔父さんは、配膳とかに手を出すので嫌がられていたそうでう。
でも、みんなの盾となっていた叔父さんが出て行く時には、みんなが泣いてくれたそうです。
地元(奈良)の老人会などではボランティアで、元コックの叔父さんは料理教室の先生をしたり、和凧作りを子供達に教えていたそうです。
そして、今の老人ホームは元々、従業員が少なく、職員も、出入りしているボランティアの人も、よく働いているそうです。
ボランティアの人は2時間くらい居たら、交代をするそうです。
叔父さんの話は、今の私に、ピッタリの話でした。
ボランティアとは、なんたるかや、誠心誠意、働くと云うことを、叔父さんの話で知り、これまでの私の生き方を反省しました。
話しは変わりますが、叔父さん(85才)の奥さん(84才)は元々、私の家のお手伝いさん(昔で言うところの女中)でした。
良い娘なので、母(長女)が、叔父さん(弟)の嫁にしました。
だから小母さんは、死んだ兄貴のことや、私が幼かった頃を良く知っています。
叔父さんは301号室、小母さんは302号室に入居。
小母さんの部屋をノックしたら、「はーい」との返事。
ドアを開けて中に入ったら、小母さんはカーテンで仕切られたトイレの便座の前でパンツを上げている所でした。
今、小母さんは弱視で、ほとんど目が見えていない様です。
その小母さんに何十年かぶりで私が来たことを知らせる為に、「さとるが来ました。〇〇さとるが来ました。『さとちゃん』が来ました」と大きな声で3回、言ったら、目の悪い小母さんが、「さとちゃん?」と言い、すぐ私だと気が付いてくれました。
すぐ気が付いてくれて私は、すごく嬉しかったです。
叔父さんのところには午前中から、午後4時まで居たので、岡ちゃんのところには顔を出せんませんでした。
今は只々、岡ちゃんに感謝です。
岡ちゃんと出会った当時、そして最近まで、自己中で、箸にも棒にもかからない私に辛抱して40年近く、よく付き合ってくれました。
親戚付き合い等を全くしなかった私を、連れ出してくれる姉にも感謝です。
これからは、みんなに感謝をしなくては、と思っています。
多分、親戚中の人達は、私のことを変な子だと思っていたでしょう?
今から思えば、私自身、変な子だったと、思います。
気が付いた今が、私の再スタート。
食事の後、叔父さん夫婦と、姉と、私の4人で大和川の堤を散歩しました。
叔父さんも、小母さんも、杖を頼りに歩きました。
陽が燦々、風もなぎ、気持ちの良い散歩でした。
これから皆に、恩返しです。
今日の歩数は、4,201歩で、3.2km。
出費はゼロでした。
明日は岡ちゃんの所に行きます。
絶対、風邪を引かないようにしなくてはいけません。
風邪を引いたら、病院に行けないからです。
風邪を人に移したらイケないからです。
今日も、長い日記で且つ、まとまりがない日記で済みません。