あー、今日は忙しかったです。 暑かったです。
姉が午前9時過ぎに車で私を迎えに来てくれて、2人で東住吉区の特老に入っている叔父(A、入院中、86才)の妻(B、82才)の所に行きました。
後からA、Bの娘(C、59才・私とはいとこ)が来て、4人一緒に、富田林の特老に入っている叔父(D、故人)の妻(E、87才)の所に行きました。
そして、後からD、Eの息子夫婦(F、61才で、私とはいとこ同士・G、58才)が孫(男5才と、女3才)を連れて来ました。
計9人で、予約を入れていた「ぞば屋」に食事に行きました。
私は、蕎麦のサラダと、まぐろ丼のセットをオーダーしましたが、蕎麦は美味しくはなかったです。
でも、まぐろ丼は美味しかったです。
食事が終わって、叔父D(享年49才)の墓参りに行こうと云う話になって、2台の車で行きました。
霊園(富田林の山の上)は出来てそうそう年月が経っていないのか、どの墓石もまだ真新しかったです。
そして、広い、広い霊園にはまともに西日が当たり、肌がヒリヒリこがされる暑さでした。 午後3時半頃。
富田林組と、大阪組は霊園で別れ、それぞれ帰路につきました。
私が、姉に送ってもらって家に着いたのが午後5時半頃。
姉とは、私の団地の前で別れました。
AB夫婦、E、それぞれに ひ孫がいて、姉、FG夫婦は孫がいます。
私だけ、独り者です。
それぞれ、世帯を持って、孫、ひ孫の居る人達の人生の重み。
その彼等から見たら私は半端者。
私は子孫が残せなくて肩身が狭いとか、卑屈になることはないけれど、私の越し方、そして、残りの人生を考えさせられました。
80才代の人達は、それぞれ病もち。
でも、生きて行く気は満々。 叔母Eは肉が大好きだそうです。
叔母Eが言いました。
「延命治療を断る(意思表示をする)書類は何処にあるのだろう」と。
みんなのバイタリティーに圧倒されて、私は縮こまっていました。
叔父(A、86才)は、令和元年5月1日に生野区の交通の便の悪い病院に入院をし、今だ身内は誰も見舞いに言っていません。 心臓と、腎臓が悪いそうです。
今のところ、流動食の様です。
叔父の妻Bは、目が悪いので見舞いに行けません。
親切な特老の人(責任者)が、病院に行ってくれているそうです。
私は見まいに行っても良いのですが、私がしゃしゃり出たら、また要らぬお節介をすると、言われかねないので私は沈黙です。
今、私の心は千千に乱れています。
心の整理が付きません。
昨日、これからはいい加減に生きてやる・・なんて考えながら、半端に人生を生きて来た自分が情けないです。
今日の歩数は、2264歩で、1.7km。
出費はゼロ。
今日の日記、登場人物多くて、分かりづらいかも。
母の弟2人の一族(嫁、息子夫婦、孫、ひ孫)が集まって、食事をして、墓参りをしたと云うことです。
みなさん、投稿、ありがとうございました。
ほんと、生田神社の御朱印、あっさりしていますね。
住吉大社と、相通ずるものがありますね。
筆の手も、何処か似通った感じもします。 不思議。
明日も晴れ。
嬉しいな。 心のもやもやを吹き飛ばそう。
BEGIN歌唱 「空に星があるように」 の 動画