火曜日

「かけふの履歴書」

この頃は、「橋」、「誠」、「アロン」など、色んな店に顔を出していました。

ある日、私は友達が経営していたフィールドアスレチックの手伝いに行った帰りに、「橋」に寄りました。

ドアを開けて入って見ると、一人、知らない人が。

まるで河野洋平、本人ではないかと思われる人が座っていました。

店は混んでいて、空いている席は一つ、その人の横だけ。

私が30才くらいの時で、その人は40才過ぎだったと思います。

背はそんなに高くはないけれど恰幅が良く、インテリ風。

その男とセックスをしたのかどうかも覚えていないけれど、2階のプレールームで一つの布団で寝ました。 彼の腕枕で。

普通だったら中々、寝付かれないけれど、昼間の疲れが出て彼の隣で私は熟睡。

次の日は、彼を私の部屋に案内し、それから、彼との付き合いが始まりました。

彼は山陽地方の人で地元では、公私ともにちょっとした有名人だったので、詳しくは書けませんが、時々、大阪に仕事で来ていました。

彼は大阪に来ると、昼間はKさんにSMの相手をしてもらい、夜は私のマンションに泊まりに来ていました。

彼はハードなMでした。

それを証明するのは彼のペニスです。

彼は、カミソリか何か鋭利な刃物で、自分のペニスの皮に深く切り込みを入れ、そこに真珠の玉を入れていたのです。

真珠は大小色々で、その数は10個を超えていました。

そうそう、彼は妻子持ちで、息子(小学生)が2人、いました。

みなさん、指に棘とか、そげが刺さって抜けなくなった場合、何日かしたら体が異物を外に押し出しますよね。

そんな感じで、真珠を入れても異物なので、体は外に押し出そうとします。

だから、美容整形外科で、ペニスに真珠を入れた場合、真珠を入れた後の傷口は縫ってしまうので、出血も少なく、早く治るということです。

でも、素人が自分で自分のペニスに真珠を入れる時は、真珠が押し出されない様、ペニスの皮の奥の奥まで押し込まなくてはいけないので、かなり痛いと思います。

傷口の消毒も大変です。

出血も中々、止まらないので、パンツは血だらけになります。

それを彼は、自分でやっていました。 Mだから出来たのです。

昔は、刑務所で暇な受刑者が、竹の歯ブラシの柄を丸く削って、ペニスに入れていた話はよく聞きました。

でも、ほんと切った後を縫う訳ではないので、血が止まるのを待つのも大変なことだった思います。

ここで余談話です。

私が高校生の頃は、古本屋の常連でした。

古本屋の、どの棚には、どんな本があるか?というのは熟知していました。

例えば、入って右通路の左の棚には、風俗奇譚があるとかです。

そこで変質者の私は、刑務所や少年鑑別所の本、そして脱走をするとか、リンチ、拷問とかの本ばかり買って、読んでいました。

この変質者的嗜好は、今も全く変わっていません。

だから、SMが好きなのかも・・です。

彼は刺青も入れたかったようですが、子供がいるので、それは出来なかったようです。

その代り、私がボディーペインティングで彼の背中に絵を描いて上げました。

鯉の背中に金太郎がしがみ付き、滝を上る姿を、です。

家にあったポラロイドカメラで、背中の絵や、前からのフリチンの写真を何枚も撮って上げましたが、彼はそれなりに喜んでくれました。

済みません。ここで又、余談話です。

彼を写した裸の写真と、ポラロイドカメラを泥棒に撮られてしまいました。

窓は閉めていましたが、鍵のかけ忘れで盗難にあった訳です。

彼は、結構いい男で、でかチンでした。 本当の話。

彼は、橋のマスターの前ではMですが、私に対してはMを出さず、兄貴分として私に接していました。

マスターとはSMで、私とはホモセックスでした。

当時、私は彼のとこを田舎風に、「あんちゃん」と、呼んでしました。

その頃は、お互いに若かったのでセックスは物凄く楽しかったです。

彼に、セックスのお預けをくらった時のことを書きます。

彼とのセックスで、私の勃起したペニスははち切れんばかりにギンギンになり、痛くて辛抱が出来ないくらいになっていたのに、彼は抜いてくれないし、抜かしてもくれないのです。

私の亀頭、鈴口からは透明な先走りがあふれ出し、私が立ち上がれば鈴口から床まで一本の筋としてつながっていました。

ほんと、私は頭がおかしくなりそうでした。 悶絶、寸前でした。

やっと抜いてもらい、狭い風呂に一緒に入り、彼の体を隅から隅まで、足の指と指の間まで、もれなく洗って上げました。

すると、「小便を飲め」と彼。 「いやや」なんて断れないです。

なんか一応、愛していたし、捨てられたくはなかったので。

彼の亀頭の先からほとばしる生暖かい小便を、頭で、顔で、口で、肩で受け、小便を飲みました。

中途半端に暖かく(多分、体温くらい)て、兎に角、のどを通らない、飲み込めないのです。

不味いの、一言。

一時期、健康法で毎朝、自分の小便を飲む、というのが流行りましたが、小便なんて、いくら愛している男の物でも、飲めたものではありません。

私が小便を飲んだのは、この時が最初で最後でした。

だから、スカトロなんて、もってのほかです。

スカトロが好き、という人は知っていますが、私はノウサンキューです。

彼は親の代からの社長でした。

彼の仕事が終わった6時に会社から、毎日、大阪の私のマンションに電話がかかって来ました。

毎日です。

だからこの頃は、毎日、早く家に帰って、電話を待っていました。

そして、毎日仕入れた、大阪のゲイの世界での出来事を教えて上げていました。

電話が終わってから、彼に話す情報を得る為に新世界に飲みに出ていました。

             つづく

「かけふ日記」

公式戦 10歳4か月 最年少勝利

囲碁の世界の話です。

10歳で大人に勝つ? 

これって、話題づくりではないでしょうか。

勝った相手は67歳で、同じ四段です。 高齢者です。

実力で勝ったのか、相手が弱すぎたのか?

私の、うがった考えでしょうか。

相撲と一緒で、対戦相手は公正に決められているのでしょうか?

「もう、そろそろ」とか、「そろそろ勝たせようか?」と、云うことはないのでしょうか? 話題作りです。

「うがった」の本来の意味は「本質を貫いた」の様に、良い意味だそうですが、「国語に関する世論調査」では、全ての年齢で、「疑ってかかる」の様に、悪い意味で理解している人が多かったそうです。

私も、悪い意味で使っていました。

本当に、日本語は難しいです。

僕のメル友(40才代)が、「先走りは、そんなに出ないでしょう云々」のメールが来たので、「そんなことはない」と、スマホで撮った、私の先走りの証拠写真を、メル友に送って上げました。

その送った後の写真をマイピクチャーから消そうか、どうしようか?迷っている時、いらちの私はマウスをチカチカと押してしまいました。

マウスのポイントがあった所は、「ディスクトップの背景として設定」

私はビックリ。 頭は真っ白。 顔面、蒼白。

戻る、戻るで、トップ画面にしたら、拡大された私のあれの写真が。 わー、どうしてら良いのだろう?

これでは、誰にもパソコンを見せられない。

もし、このまま、私が死んだら・・・

そうだ、確か、無料の壁紙があったと、ない頭で考えて検索。

それを取りこんだら良いのではないかと。

やっと、無料の新しい壁紙を見つけ出し、取り込みました。

あー、やっと、やっと、グロテスクな写真が消えました。

あー、怖い、恐い。

昔、岡ちゃんに、良く叱られていました。

「マウスを、そうチャカチャカ、押すな」と。

今日は、本当に、冷や汗をかいてしまいました。

今日は、Aさんと待ち合わせをして、一緒に、飲みました。

そのことは、明日の日記に書きます。

明日も、良い日でありますように。

今日も、投稿、ありがとうございました。

そうです、保証人と、人に金を貸す事だけは止めましょう。

今は、信販会社もありますから。