昨夜は色々あって、1時過ぎまで起きていました。
癇が立って、眠るところではなく、少しクコ酒を飲んでから、横になりました。
綿のTシャツと越中。首にタオル。腹の上にバスタオル。
ちょっと、股間が蒸れるので、前垂れをずらして、風通しを良くしました。
独り寝って、こういう時、辛いよね。 甘える人が居ないから。
朝、起きたのは6時半。
容赦のない朝の強い日差し。
一日の初めのバージンの日差し。
焼けつきそうな日差しだったので朝の散歩は、パス。
たまに休んでも、神様は許してくれるでしょう。
一昨日は、兄の事、昨日は父の事を書きました。
今日は、父と、母の出会いの事を書こうと思います。
母(T14年1月生まれ)は、小学校を出て、理容師の見習いで広島に行きます。
その後、大阪に出て、大正区の店で修業。
その大正区の一家が和歌山に疎開したので、母も一緒に和歌山に行きました。
母は、和歌山でMと云う人の家に下宿していました。
Mは夫婦暮らしで、そこの妻が、「うちの弟が戦争から帰って来たら、結婚してやって?」と、頼まれ、南支、中支から、日本に引き揚げて来るには暫く年月が掛かるだろうと、その場しのぎで母は、「良いよ」と、答えたそうです。
所が、所が、昭和20年の秋にはMさんの弟(父、T7年生まれ)が帰って来たそうです。
Mさんの弟が男前だったからかどうかは知らないけれど、約束した都合上、母は結婚。
そうこうしている中に、兄を身ごもり、母の実家のある島根に帰って来ました。 父と一緒に。
そして、21年10日25日に兄貴が誕生した訳です。
両親の戦争の体験談ですが、父には何も、あえて、聞きませんでした。
「戦争で、何人、殺した?」なんて、聞けないでしょう?
母は、戦争中、人々の心は荒んでいて、「オムツ泥棒」として、留置場に入れられたそうです。
「なんで独身の私が、干してあったオムツを盗まなくてはいけないの」と、母の弁。
当時の日本の警察は、人権を無視し、背中に日の丸を背負った暴力団の様な集団。
母は言わなかったけれど、ひどい取り調べにあった様です。
その反面、物資の乏しい中、古い浴衣で縫ったオムツが、いかに貴重だったかが、判る事案です。
それから、もう一つ、母から聞いた話です。
20才になるかならないかの母でしたが、理容師として一人前。
出兵する若い男たちの散髪(丸坊主)をした時、切った髪の毛を取って置いたそうです。
そして、その若者が戦死。
骨箱に石ころしか入っていない様な遺族の人達の家に、取って置いた遺髪を届けると、みんなは大泣きして喜んでくれたそうです。
話は全く飛びます。
岡ちゃんが意識障害で入院をして、回復の見込みがなくなった時、岡ちゃんの引き出しを整理していたら、岡ちゃんの抜けた虫歯が1本、出てきました。
岡ちゃんが今年の3月4日に亡くなりましたが、他人である私には遺骨はもらえません。
でも、見つけた岡ちゃんの虫歯は、私にとって、大事な岡ちゃんの遺品(体の一部)です。
虫歯だけれど、あって良かったなと、私は思っています。
話は元に戻ります。
父は現地でマラリアに罹ったので、40半ばぐらいから剥げていました。
バーコードでした。
それから、肩には、鉄砲の弾が貫通した傷跡がありました。
人生って、親子、兄弟と言った血縁の枠ではなく、人類、魂の寄合と、大きな枠で考えた方が世界平和のためには良いのかもしれませんね。
外はなんか、台風の様な風が吹き、ちょっと蒸し暑いです。
散歩を休んだら、一気に今までの疲れが出て来たようで、体がだるいです。
これは、台風が近づいているせいでしょう?
低気圧のせいでしょう?
と云うことで、今日の歩数は1,660歩です。
買い物は、明日にします。
明日には体調を整えて、散歩に行きます。
今日の朝刊に出ていました。
「タイヤの摩擦で発電」の見出しで。
住友ゴム工業と、関西大が「発電するタイヤ」を開発したと。
走行中にタイヤと地面の間に生じた摩擦から静電気を発生させ、その静電気をタイヤの空気圧などを検知するセンサーの電源とすると。
成る程、動く物からは電気が発生させられる!!
ハツカネズミが懸命に回す、回し車からも発電!!すごい。
ソーラーカーの様に、動く物はみんな、自分で、又は何らかの力で発電して動く。 良いことだね。
台風の被害が最小限で終わりますように。
明日も、良い日で、ありますように。
台風で発電・・出来たら最高だね。
そして、台風を人間の手で自由自在に操れたら・・