今朝、3時40分に起きて、散歩に行こうと、団地の外に出ました。
わー、小雨が降り出している。
いつ、大降りになるか分からないので今日は、本当に、本当に散歩は止めようと覚悟を決め、部屋に戻りました。
今日の散歩の中止は神様仏様のお告げだと、信じて。
ところが、ところが、8時になっても、9時になっても雨は降らない。
セミの声が聞こえるだけ。
それより、今日の暑さは昨日よりまし、昨日よりしのぎやすいと思っていたら、夕方から暑さがぶり返して来ました。
「どないなってんねん」と、空に向かって、聞いてみたい気がします。
昨日、入院中の友人(組合員)から、メールが来ました。
「外科医のお陰で無事、手術が終わりました。後の回復は私次第です。頑張ります」と。
そして、添付ファイルが、ついていました。
ファイルを開いてみると、新聞の一文を撮った写真。
一文は、山田稔氏の「山田稔自選集1」の中の一文か、苅部直さんの一文かは判別できないけれど、次のような文章でした。
家でひとり飲んでいるうちに、こぼれた酒の上を、盃がすっとすべる。
そのときに亡くなった友人の言葉を思い起こして、「帰って来ているな、と ついあたりを見回した」。
元気な方がそばにいるならもちろん結構だが、語り合う相手は、生きている人だけとはかぎらない。
この文の最初から、見回した」。までが、山田氏の文で、後が苅部さんの文であろうか?
今日は、お盆の最終日、八尾さんは送り火を焚いてご先祖様を送られたのであろうか。
最近は、夫と同じ墓には入りたくないとか、先祖の墓には入らないとか、墓じまいがどうのとか、言われる時代。
私が死んだら、戒名も要らない、墓も要らない。
静かに、速やかに、大地に帰りたいだけ。
でも、ふ〜さんって、亡くなった人々や、猫たちが、そんなに身近に居るのですか?
その人達や、愛猫に囲まれている。
私が孤独なのは、亡くなったすべての命(魂)が身近に感じられないせいかもしれませんね?
Sさんの適切な助言がストレート過ぎて、胸にこたえます。
精神科医でも、なられたらどうですか?
そうですね、「いい人が見つかれば云々」
ある意味では、大いに当たっていますね。
今日は何処にも行かなかったので、歩数はゼロ。
出費もゼロ。
あの世(彼岸・黄泉の国)の門限は何時でしょうね。真夜中の0時?
門限に間に合わなかった霊は、どうなるのでしょう?
門番に、袖の下でも渡すのでしょうか?
下界で、霊前に供えてもらった落雁でも、渡すのでしょうか?
本当に、世の中が混とんとして来ました。
国と国との政治的駆け引きと、国民同士の融和は別だと、私は思うのだけれど。
日本の国民は、天災が起きても、略奪をしない民です。
どんな時も、誇りを持って、世界の模範となる行動をとりましょう。