日曜日 (五木寛之の本)

お婆ちゃん同士が話を、していました。

「消費税が上がるからティッシュを買いだめした」と。

通りすがりに聞いた私は、「え〜」と眉をしかめました。

昨日、午後6時頃ドンキに行ったら、レジに長い行列。

ワンフロアーに3つしかないレジ。

一列に10人くらいが並んでしました。

私は買い物を止め、帰って来ました。

この月末の日月は、買い物に行くのは止めることに。

ということで、私は一日中、家に居ました。

歩数も、出費もゼロです。

今日は何処にも行かず、本を読んでいました。

たまたま、五木寛之著の「人間の関係」を借りたので、一日で読み終えました。

世界情勢、お金の価値、恋愛、健康、諸々のことが変る世の中、明日のことはわからない世の中で、変わらずに残るものは何か?

それは、「人間の関係」と言う結論でした。

この本でいくと、五木寛之(昭和7年生まれ)にとって、今までの人生の中で「鬱」と言えるような時期が3回あった様です。

1回目は50才前後の頃、この時は、「歓びノート」を書いて、鬱を脱出。

2回目は60歳を迎えた頃(更年期?)、その時は、「悲しにノート」で、通過。

3回目は70才を過ぎた頃、この時は、「あんがとノート」

これらの話で、本はスタートしました。

「歓びノート」は、一日で、嬉しかったことを一行、それも、一つだけ書き、最後に「うれしかった」と書くそうです。

「悲しみノート」は、一日で最も悲しかったことを書き、「かなしかった」で締めくくるそうです。

「あんがとノート」とは、「ありがとう」の北陸の方言で、「あんがと」だそうです。

今日一日、こんなことがあった、「ありがたい」と結ぶそうです。

書くことがなかったら、「今日一日、無事に過ごせた、ありがたい」で、良いそうです。

そうすることによって、鬱を乗り越えて来たそうです。

また、「鬱(うつ)」については、マイナスのイメージを持つけれど、第一義の意味は「草木の茂るさま、物事の盛んなるさま」だそうです。

「木々が鬱蒼(うっそう)と茂る」と、言うようにだそうです。

また、「鬱」の中には「憂」、憂うることの意味や、「愁」、無常観の意味を含み、決して「鬱」はやっかいなものではない。

人間にとって大事な人生の伴侶と感じられるように、なるのではないかのことでした。

鬱を乗り越えることによって、人間の厚みが出来て来るのではないか?と、私は解釈。

間違っていたら、済みません。

今日も、雨は降らなかったけれど、何となく蒸し暑くて、憂鬱な一日でした。 疲れているせいかな?

最近、思うことは・・

子供頃、そして、若い頃は畳の上で大の字に寝ると、壮大な気持ちになり安らげたのに、最近は背骨が床に馴染まず、ゴツゴツと骨がしている感じです。

年配の皆さん、どうですか?

最近は椅子やベッドの生活で、床に寝ることはないですか?

それから、今から20前頃の私は喘息もちで、冬、寝る時は何時も、咳をしずめる為に胸の下に枕を入れてうつ伏せで寝ていましたが、今は、全くうつ伏せ寝が出来なくなりました。

私は、腰をかがめたら床に手の先が届くので体が軟らかいと自負していますが、年で体が硬くなっているのでしょうか。

出来うる限り、簡単なストレッチは行う様にしているのですが。

今日は、薄曇りだったけれど布団を干せた。うれしかった。

今日は、メールも、電話も来なかった。かなしかった。

今日も3食、食べられた。ありがたい。

さー、明日は前向きに生きよう。 散髪もしよう。

明日も、世界が平和でありますように。

世界の国々の大統領や、首相や大臣が、人類の為に、正しい判断をくだせますように。