18世紀から19世紀にかけて産業革命が起きて、世の中が大きく変わったけれど、私が生まれて育ち、成人になり、老人になったこの世紀ほど、世の中が大きく変わった世紀はないであろう、と私は思います。
生まれた頃はテレビもなく、電気冷蔵庫もなく、場所によっては電燈もなくランプ暮らし。
そして井戸での水汲み。
それが今やITの時代。
私の世代の人達は、その目まぐるしい時代を生きて来たのです。
日々、驚くことの連続だった様な気がする。
子供を始め若い人達は世の移り変わりに付いて行けるでしょうが、私の年代になるとコロナ後の社会に付いて行けるだろうかと、大いに心配をしています。
縄文時代は8000年、続いたと言うけれど、この100年の変化、進歩は何と言えば良いのでしょう。
産業革命以後、地球を傷め、自然破壊し続けて来た人類。
大きく変わった生態系。
将来を不安視するって、私の気にし過ぎで且つ、取り越し苦労でしょうか。
話しは代わります。
私が姉とが一緒に行動をしている時、トイレを見ると私に、「行っておいで」と姉が言います。
一緒に行動をしていたある時、たまたまトイレが近くて何度も行ったのを覚えていて(頭にインプットして)、私に「トイレに行け」と言うのです。
私は行きたくなくても、ブチブチ言いながらトイレに入ります。
姉の運転で四国中央市に行った時など、トイレ休憩は2度しかなくても辛抱をした私なのにと、内心思いながらトイレに行っています。
それと、何十年も前に死んだ叔父さんの墓参りに行った時、私が線香に火を点け、線香の先が燃えているところを姉がすかさず見て言いました、「吹いて消したらいかんよ」と。
このいい年寄りを捕まえて、「吹いて消すな」ですって。
私は反抗もしないで、手で火をあおいで消しました。
その時は少々カチンと来ても、私は姉の心使いが嬉しくて、いつも感謝をしています。
姉は地域の自治会や、スポーツのサークル仲間や、職場の人達を、老若男女を問わず上手に手なずけているようです。
あっぱれ・・・ です。
今日、Aさん(茨木市在住)から電話があり、「たまたま銀行に行って通帳の記帳をしたら10万円が入金されていた」そうです。 奥さんのも合わせて20万円が。
「でも、お金は右から左だ」と、Aさんは自嘲気味(じちょうぎみ)に言いました。
奥さんがAさんの分も取り上げてしまうそうです。
それでは、どちらが家長か判らないな、と私は思いましたが、それで家庭は上手く行っているのですから、良しとしましょう。
Bさんは、奈良の奥のスーパー銭湯「天然温泉 虹の湯」に行って来たそうです。
入浴客も、そこそこいたそうです。
館内の売店で売っていた健楽ズッキーニを4本買って、お土産として持って来てくれました。 内税で1本、100円。
私は、他人が調理をしたズッキーニを食べたことがありません。
そんな私が調理をしたズッキーニを食べた友人が言いました。
「歯ごたえがない」と。
ゴーヤチャンプルも人が作ったのを私は食べたことがありません。
適当に、自己流で私は料理しています。
ズッキーニも、ゴーヤも、人が作った物を食べてみたいものです。
ひょっとして、他人が作ったものは私の口に合わなかったりして。
今日も投稿、ありがとうございました。
通行人さん、そうですよね、若い頃は色んな曲が流行りました。 懐かしいですね。
八尾さん、そうですか、「伊丹米」というのは「伊丹産業が取り扱った米」という意味ですか。
やっぱり産地は新潟県。 納得しました。
無知で済みません。
今日は、泣きたいくらい、上手く一日が回転しませんでした。
それに、パソコンの調子が悪かったりで忍耐の一日でした。
明日一日は雨のようですが、土日は天気が良いとの予報。
雲の上は晴天。
例え雨でも、心に太陽を抱いて明日一日、頑張りましょう。