月曜日

月曜日の最初のお客さんはTちゃん(60才)。

Tちゃんは人柄も良く、会話も上手なのでみんなから愛されています。

今日も面白い話をいっぱい聞かせてくれました。

この間は、進駐軍の米兵にパンツを脱がされた話でした。

今日もTちゃんが生まれ育った大阪市西区の話でした。

Tちゃんが生まれたのは昭和23年。

子供の頃は米兵がいっぱいいて、米兵相手の飲み屋がいっぱいあったそうです。

頭にスカーフを巻いてヒラヒラのスカートを穿き、真っ赤な紅をつけた女性、今で云うホステスがいっぱいいたそです。

みんなは「パンパン」と囃し立てていたそうですが、彼女等は悪たれ小僧に対して優しかったそうです。

米兵も子供達には優しく、いつもチョコレートやガムをくれたそうですが「ドロップだけは好きではなかった」とTちゃんは言います。

ドロップは香料がきつく、まるで香水を口に入れたようで直ぐに吐き出したそうです。

当時は空き地も多く、家の前では鶏を飼っていたそうです。

大阪には多くの川があり、川の水は綺麗で泳げたそうです。

空襲で京町堀川の橋が破壊されて鉄の骨組みだけが残っていたとか。

その鉄の骨組みの上から川に飛び込んで少年達は遊んでいたそうです。

少年達は素っ裸で、中には陰毛が生え出した少年もいたそうです。

まだ幼かったTちゃんは川に飛び込む少年達をよく見に行き、少年達の裸体を見て胸を時めかしていたそうです。

こうしてみるとTちゃんは小さい頃からオケケだったんですね。

ある時期、本の短い間に川は汚くなっていったそうです。

そして大阪の多くの川は埋め立てられ、京町堀川もTちゃんが16才の時(1964年)に埋め立てられたようです。

Tちゃんの子供から少年時代の話を聞いていると、何となく胸がキュンとしてきます。

高度成長期の前の、みんなが貧しかった頃、阿久悠の「昭和最後の秋のこと」や宮本輝の「泥の河」って感じ。

田舎で生まれた私は10才頃、家族で大阪の港区に引っ越して来きました。

「大阪には大きな川がいっぱいあるよ」と聞かされていた私は魚が住む綺麗な川を想像していましたが、実際はメタンガスがブクブク浮き出す汚い川でした。

川には水上生活者が暮す木造船がいっぱいありました。

豊かになった今では考えられない時代、大阪ですよね。

昔のこと、少年時代のことを思い出すと胸キュンです。