土曜日

今日、最初のお客さんはAさん(55才・他府県)。

「家の近くで買いました」と言って、「焼き鯖寿司」をくれました。

ありがとう。

Bさん(62才・他府県)はハッテン場の映画館帰り。

「映画館で、やって(抜いて)来ました」と、Bさん。

Bさんは前回、来た時、かけふの店の後で某スナックに行ったそうです。

そこで、演歌を日本語で上手に唄う台湾の人(45才)と知り合いになり、今はメールや電話のやり取りをしているそうです。

彼から「台湾に遊びに来ませんか?」と言われたけれど、「時間がなくて行けない」と、返事をしたそうです。

「時々、かけふ日記に間違いがあるよね」と、AさんとBさん。

「年齢とか、男と付き合っていた年数とか、まちまちに書かれたりしている。でも、間違っている方が本人の特定が出来なくて、良いことは良いけれど」と、Bさん。

桂銀淑のカンバック曲として、すぎもとまさとが作曲した歌は『夕陽」ではなくて『ユウジ・・・』だよ」とAさんは言い、カラオケで杉本眞人歌唱の「ユウジ・・・」を、唄ってくれました。

Cちゃん(61才)はガタイが大きく、温厚で包容力があり、みんなからモテモテ。

Cちゃんの白い髭を、Bさんが「格好いい」と、絶賛。

Cちゃんを、ほめちぎっていました。

Cちゃんはジャズが大好きです。

今日は日本橋で、ビンテージ物のスピーカー(15万円)を、見て来たそうです。

買おうか、買うまいかと今、迷っているそうです。

新世界には下駄屋で、ジャズのCDやレコードを売っている店があります。

そこの親爺さんは温厚で物知りで、すごく感じが良いそうです。

「親爺さんの体型はタイプではないけれど、人間性で遊べる(セックスが出来る)」と、Cちゃんは言っていました。

Cちゃんは朝立ちが40才代でなくなったそうです。セックスの相手がいる時は別として、自分でマスをかくことはないそうです。

かこうとしてもオチンチンが立たないし、面倒臭いそうです。

Bさんは、お客さん(Dさん)に言われたことがあります。

「あんた(Bさん)は、バリバリの受けでしょう」と。

そうしたら「はい、そうです。分かりますか?」と、Bさんが答えました。

Dさんはバリ立ち。

DさんがBさんに「受けでしょう?」と言った真意は、「『アナルの受け』が出来るでしょう?」と、云うこと。

今日、Bさんが言いました。

「手や尺八での出しっこで充分、満足できます。お尻なんか使いません。入れたことも、入れられたこともありません」と。

Bさんが「私は受けです」と言ったのは、“精神的な受けです”と云う意味で、アナルセックスでの受けでは、なかったようです。

Bさんは「受け」の意味を、勘違いしていたようです。

Cさんが言いました。

「セックスの時、『アナルに入れてくれ』とか、『入れさせてくれ』とか言われたら、勃起したペニスも萎えてしまう」と。

CさんもBさんと同じで、手や口で出すセックスで充分だそうです。

Dさん(64才)、少し酔って来店。

Dさんは60才になった頃、前立腺肥大で排尿がままならなくなった時、SMでの「Sの引退宣言」をしました。

持っていた沢山の縄などを、尼崎の縄師に上げました。

その後、体調が良くなったのか、Sを再度、始めた様です。

DさんはSMの縛りに命を懸けています。

Dさんは、東京で有名なMの人(TG)と組んで5年間、縛りの研究(勉強)をしたそうです。

Dさんの話では、いくら形よく縛っても、キチキチできつい縛りは、いけないそうです。

「縛りはゆるくても、Mが身もだえして動くたびに、自然に縄が締まって行くような縛りをしなくてはいけない」と、Dさん。

Dさん自身は、そんな縛りをしているそうです。

そんな縛りは、Dさんが到達した、縛りの極みだそうです。

縛って行くうちに、縛られたMが感極まり、辛抱出来なくなり射精(自然発射)をしてしまうこともあるそうです。

縛りについて、Dさんは熱く語ってくれました。

“SMの行為、SMの人達を毛嫌いしたり、軽蔑するゲイの人達もいるけれど、SMはSMとして縛りの文化などは継承して行かなくてはいけないな”と、私は思いました。

Dさんが目をパチパチさせるE君を「可愛い。可愛い」と言い、隣の席に移りましたが、E君は先に帰ってしまいました。

今日は、名古屋の人2人とか、和歌山、滋賀、千葉からのお客さんが来られました。来店、ありがとうございました。