岡ちゃんがNちゃん(昭和24年生まれ)に今日、電話をしました・・・・
私達は昔、新世界のスナック誠で手伝いをしていました。
マスターはモンちゃん(昭和19年生まれ、没)。
そこに、女装の君ちゃんに連れられてNちゃんが来ました。
その日、Nちゃんはロイヤル(ホモサウナ)に行きました。
ロイヤルのフロントに置いてあったゲイマップをもらい、それを見て、スナック〇に行こうとしたそうです。
道端で客引きをしていた君ちゃんに、「スナック〇は何処ですか?」と聞いたら、「それだったら『誠』に行き」と言い、Nちゃんを店まで案内してくれました。
それが、Nちゃんとの最初の出会いでした。
当時は、Nちゃんは愛媛から大阪に来て、まだ間のない頃。
マスターのモンちゃんが、いつも女装の人達に親切にしていたお蔭です。
ある時、スナック誠のドアを少しだけ開けて顔を覗かせ、目をクルクルさせて「入っても良いですか?」と言って来たのがK助(昭和28年生まれ・香川出身)です。
「良いですよ」との言葉で、K助は誠のお客さんになりました。
それから暫くしてNちゃんとK助は、店で顔を合わせました。
ある時、Nちゃんが仕事中に、上から物が落ちて来て腰の骨を折りました。
そして、後遺症が残り、身体障害者に。
K助は、ずっとずっとNちゃんが好きでした。 事故後も。
ある時、お店で、「俺がNちゃんの面倒を一生看るから、付き合ってくれ」と、K助がNちゃんにポロポーズ。
K助の心にほだされて、2人の付き合いは始まりました。
Nちゃんは立ち。 K助は受け。 14、5年前のこと。
K助がローンで家を買い、2人の同棲が始まりました。
Nちゃんは専業主夫。
2人は1匹の柴犬を飼い出し、もう1匹飼い出、 柴犬は2匹に。
捨て猫を拾って来て飼い出し、最後は猫13匹に。
私達が「かけふの店」を初めてからも2人は、飲みに来てくれていました。
ある時、K助が「左の胸にしこりある」と言い出し、岡ちゃんが触ると、確かにしこりが。
「医者に行きや」と、岡ちゃん。
病院での検査の結果、男の乳癌。
5、6年前に手術。 転移を防ぐためにリンパ腺も取りました。
手術後、右手はパンパンに(リンパ浮腫)。
病院通いはしていましたが、右手は痛々しい状態でした。
そして、再発。 入院。 入退院の繰り返し。
私達が病院に顔を出すと、K助はメチャメチャ、喜んでくれました。
そして、何回目かの見舞いの時、お見舞いのお金を渡そうとしたら、「僕への見舞いはもう良い。僕が死んだら、この金を香典としてNちゃんに渡して。香典返しは出来ないと思うけれど」と、K助。
「うん、分かった。この金はその時、香典としてNちゃんに渡すね」と、私達。
そして、この間の見舞い。
もう、死ぬのを待つばかりの状態。
傷み止めの点滴で、K助はもうろうとしていました。
次の日、「K助が死んだ」と云う、Nちゃんの電話。
そして先日、K助の家に行き、線香を上げて来ました。
前に渡さなかったお金も、香典として渡しました。
「この家を出て行かなくてはならないので、田舎に帰るつもりだ」と、Nちゃん。
そして今日、岡ちゃんがNちゃんに電話をしたら、Nちゃんの明るい声。
K助のお姉さんが来て、Nちゃんに言ったそうです。
「この家にずっといても良いですよ。もし家が必要なら、その様に手続きをしますよ」と。
K助はNちゃんの為に何もしないで死んだと、私達は思っていましたが、多分、入院中に見舞いに来たお姉さんに、全てを話していたのでしょう。
「後に残されたNちゃんのこと頼む」と。 そして家のことも。
Nちゃんは、お姉さんに言ったそうです。
「ここに住まわせてもらうだけで充分です(家は要りません)」と。
これからもNちゃんは、K助の心に寄り添って、犬2匹と猫13匹と一緒に、K助の家に住めるようになりました。
Nちゃん、良かったね。 本当に良かったね。