金曜日

Aさん(70代)は、お稽古ごとの先生。

今日は、芦屋の教室に行った、帰りだそうです。

先生と知り合いになって40年近く。

先生と話していると、ついつい昔の話になってしまいます。

「ところで『はた結びの会』のあの人、どうなった?」と、Aさん。

今から30年近く前、スナックMで、機織り機の糸が切れた時の糸の結び方が問題になったことがあります。

その場にいた50代、60代の人の3人が、糸の結び方を知っていたので、その3人で「はた結びの会」を結成したのです。

「はた結び」とは、機械で反物を織る時、切れた糸の結び目が目立たない様、小さく小さく結ぶ方法です。

         「はた結び」の 動画

3人の1人は串カツ屋の大将。 もう1人はAさん。

3人目がAさんが話題にした人、Oさんでした。

Oさんは、新世界のあんこ(日雇い労働者・立ちんぼ)でしたが、あんこを派遣する某会社の寮に入っていました。

Oさんは元々、小柄できゃしゃ、好々爺って感じ。

Oさんは仕事の現場に行っても力仕事が出来ないので、仕事の準備や片付け、掃除などの雑用が主な仕事でした。

スナックに来ても、大金を使うようなことはなく、ビール2本または3本と、突出し。 そして、カラオケ代。

Oさんの口癖は、「山も枯れ木の賑わいよ」で、「大金は使わないけれど、店のにぎやかしーとして、店に入れてね」って感じ。

このOさんは男前専で、同年輩の男前が大、大好き。

ジャンジャン横丁を歩いているOさんと、相手の男を見たことがありますが、男前は男前でも、金を持っていなそうな男前でした。

何時も、そんな男に、Oさんは無い金の中からパチンコ代や、煙草代や、飲み代を貢いでいました。

70才を過ぎて、仕事が出来なくなって生活保護を受けてからも、無い金の中から男に貢いでしました。

Oさんはほんと、オネエの鑑って感じ。

会話も、すごく上手で、楽しいくて可愛い人でした。

10年ちょっと前まではOさんの噂も聞いていましたが、今は全く、聞かなくなっています。

生きておられたら80半ば。

「もう亡くなったのと違うかな?」と私が言うと、「世の中、順番だものね」と、Aさん。

何時も清潔な服装でお洒落だった大槻さんのことを思い出すと、心がほのぼのとして来ます。

今日の読売新聞に載っていました。

「中国の高速鉄道が21日、最高時速350キロでの営業運転を再開した」と。

2011年の死者40人を出した事故以来の350キロだそうです。

事故当時は事故車を検証もしないまま、土に中に埋めてしまったのが話題になりましたよね。

これで又、日本の新幹線などを抜いて「世界最速」になったそうです。

また、事故が起きないと良いですがね。