午前中、姉から、「今度の日曜、一緒に見舞いに行かない?」との電話。
話しを良く良く聞いたら叔父さん夫婦が、東住吉区の高齢者向け賃貸住宅に入ったらしい。
各部屋が1人部屋なので301号室と、302号室に入居しているとのこと。
叔父さんは動けるけれど腰痛。
叔母さんはもう、ほとんど目が見えないらしい。
賃貸住宅と言っても、自由に外出は出来ない様です。
外出許可がいる上、叔父さんの場合、施設の人の付き添いがないと外出が出来ないとか。 どしてなんでしょう?
なんか、隔離をされている様な待遇。
「お見舞い(お金)を持って行くの?」と聞いたら、叔父夫婦の娘が、見舞いを受け取らないとのこと。
姉の説明では詳しいことは判らないけれど、行くことにしました。
「もし、外出許可が下りたら、一緒に昼ご飯でも食べに行きましょう」と、姉。
調べてみたら、岡ちゃんが入院している病院の南に位置する施設のよう。
金曜日に岡ちゃんの所に行ったら、下見に行って見るつもりです。
午後2時から新北島南公園福祉会館老人憩いの家で、「なにわ元気塾 うつ・認知症について」の説明(講習)があるとのこと。
65歳以上の方はご参加下さい、とのこと。
地域の人と知り合いになる良い機会と、私は行きました。
区役所の若い女性職員が講師。
受付は30才代の女性が1人。
集まったのはお婆さん5人。 男は私1人。
最高齢のお婆さんは91才で、シャンシャン。
あー、嫌な予感は的中。 進行はだらだら、メリハリは全くなし。
衰え(フレイル)チェックや、座った状態で「うさぎとかめ」や「かえるのうた」の歌に合わせて簡単な体操(お遊戯っぽい動き)等をしました。
もし、こう云うのがデイサービスの体操だったら、私はアホらしくてデイサービスには絶対、行かない事でしょう。
そして、隙(すき)あらば喋ろう、喋ろうとするお婆さん達。
一番 喋くっていたのが「私は耳が遠いです」と言っていたお婆さんで、「私は人見知りするので、知らない人がいたら心臓がドキドキして喋れません」とのこと。 (嘘つきと、私)
そして、「病院通いで忙しいです」とのこと。
鬱や、認知症について、真面目に話を聞こうと思っていた私が馬鹿でした。
お婆さん達は、講習の場なんか関係なく、みんなで喋り、井戸端会議の延長線上。
あー、2度とこんな所に来るものかと、私はイライラ。
でも、都合が付いたら来月も参加してみるつもりです。
1回参加しただけで、良し悪しを決めることはないと思うので。
口座が終わった後、晴れて気持ちの良い大和川の堤を歩きました。
今日は引き潮なのか、中洲がいっぱい出来ていました。
冬とは言え、心なごむ陽射しの中、のんびり出来ました。
今日の歩数は、2,332歩で、1.7km。
なんか、もっと歩いた気がしますが。
今日の出費 ライフ (トマト・生しいたけ・大豆の水煮)
513円
暇な人は、読んで下さい。
よく、インターネットで、「ときたま日記」と云うのを見かけます。
私もいくつかのシリーズものとして、「かけふのときたま夢日記」とか、「かけふの昔むかし、ときたま日記」等を、始めて見ましょうか。
取りあえず今日は、「かけふのときたま夢日記」で行きます。
次の夢は昨日の朝、見た夢です。
場所は手術室。
私の立ち位置は、部屋を見下ろす少し高目の位置。
浮遊状態。
手術は心臓移植。 午前中に手術を受ける人をA。
午後から、心臓移植手術を受ける人をB。
午前中のAの為に用意された心臓を a、午後の人の為に用意された心臓を bとします。
いざ手術に取りかかってみると、Aの為に用意された心臓 aは調べに調べて選んだはずなのに、なぜか不具合。
仕方がないので午後の手術用に用意された心臓 bを調べると、Aにピッタリ。
心臓 aを調べてみると、Bに移植しても可能な状態。
それなら心臓、 aと、 bを交換しようとの結論。
それも、心臓の鮮度を考えて同時時刻の移植を開始。
午後の手術担当外科医及び看護師、麻酔担当医師に至急、召集を掛けると共に、来るまでの間、午前中の手術担当メンバーが2つの手術を同時に進行することに。
あー、何とか上手く行きそうだ・・・と云う目途が立ったところで、目が覚めました。
次の夢は、今朝の夢です。
私は昔から、親戚付き合いが苦手でした。
そして、人の顔を覚えるのが苦手でした。
叔父さん、叔母さん、及びその連れ合いの名前までは覚えていますが、私の従兄に当たる人達(叔父と叔母の子)の名前は全く分かりません。
兄貴の子供(4人)の名前は判りますが、甥っ子、姪っ子の子供達となると、全く名前を覚えていません。
そんな状況の中で、家族、親戚一同が集まった時に、迫られたんです。
姪っ子に、「私の子供の名前、言ってみて」と。
あー、私はオロオロしてお手上げ状態。
何も答えられませんでした。
私に不得手なことが多過ぎて、世渡りが大変です。
この出来事は夢の中のことか、本当にあったことなのか、判らない状態になっていた話しです。
Aさんが言いました。
「僕は昔、人を殺したことがあるんです。 刑務所に入って償いはして来ましたが」と。
へー、Aさんは人を殺めたことがあるんだーと、その時は心に収めました。
それがそれが、本当にあった事のように思われて、Aさんって、誰だったろうと真剣に考え、思い出そうとしている自分がありました。
私は、夢の中でのことか、現実にあったことなのかが、ごっちゃになる時があります。
みなさんは、そう云うこと、ないですか?
私は時々、あります。 困ったことです。