今日、地元住之江区の有償ボランティア団体、NPO法人を紹介され、話を聞きに行って来ました。
今まで、他の区(阿倍野区や、東成区)のボランティア活動の説明会に参加して来ましたが、やっぱり地元の組織を優先に活動をすることになるので、NPO法人の説明を聞きました。
NPOから回される仕事と、介護関係の施設に、ボランティアで行こうと思っています。
これから先、どうなるのかは全く分からず、心細い限りです。
ただ、人の為に働きたいと云う、気持ちだけです。
NPO法人の事務所に行くのに、何十年かぶり(多分、35年位ぶりです)に、ニュートラムに乗りました。
私がニュートラムに乗り出してから間もなく、無人になり、その当時は驚いたものです。
車体は小さくて色んな色があり、遠くから見ていると玩具みたいです。
住之江競艇がある住之江公園駅発なので、競艇新聞などが座席の上に置かれたままになっていたりします。
NPO法人の事務所に行ったのは午後1時。
今日は天気が良かったので、午前中に髭を剃り、シャワーを浴び、洗濯をして家を出ました。
でもでも、用事を終えての帰り、ニュートラムに乗った頃から窓ガラスに雨粒が点々。
急いで家に帰り、まだ濡れている洗濯物を部屋の中に入れました。
でも、夕方からは雲が切れて来ましたが。
今日の歩数は、5,042歩で、3.8km。
今日は買い物に行かないようにしたので、出費はゼロ。
なぜ買い物に行かなかったか、と云うと今日の午前中、今年になってからの支出を計算したら、予想以上にお金を使っていたからです。 ただ、それだけですが。
明日は初体験。
老人会の初体験。 午後1時半、老人会デビューです。
出しゃばらない様に、大人しく可愛い子ぶっていようかな。
ときたま日記、「そうそう昔はそうだった」です。
私が生まれた70年前には、テレビはありませんでした。
ラジオだけです。
夕食を食べながら、みんなでラジオを聞いていました。
「三つの歌」、「お父さんはお人好し」、「1丁目1番地」、「コタンの口笛」など、NHKの番組を聞いていました。
覚えている人はおられるでしょうか?
岡ちゃんのお父さんは浪曲が好きだったので、ラジオでよく浪曲を聞いていたそうです。
その頃は、岡ちゃんも私も、まだ田舎に住んでいました。
女の人は赤子に乳を、平気で、人前で飲ませていました。
大きなお乳を丸出しにして。 汽車の中でも。
暑い時なんかは、上半身裸(腰巻一つ)のお婆さんがウロウロしていました。
また、お婆さんの立ちションなんかは、日常茶飯事。
大人の男の人は、たらいや、川などで行水をしていました。
夕方のちょっと、薄暗くなりかけた時などですが。
ほんと、大らかな時代でした。
その頃は鼻紙も貴重品。 新聞紙の代用もありました。
お婆さんなんかは一度、鼻をかんだ紙を畳み、懐に入れ、同じ紙で2、3度、鼻をかんでしました。
昔の鼻紙(ちりし)は、それくらい丈夫でした。
丈夫と云うより、粗悪でした。
手鼻をかむ・・って知っていますか。
親指で片方の鼻の孔を押さえ、シュッと勢いよく反対の穴から息をはくのです。
そしたら、開いた方の鼻の孔から、鼻水が飛び出します。
片方も。同じようにして、鼻水を飛ばします。
これを、「手鼻をかむ」と、昔は言っていました。
若い子は知りませんよね。
便所は家の外にあるポットン便所。 飲み水は井戸水。
今からでは、考えられませんね。