木曜日

済みません、今日の日記は明日、書きます。

3月8日、記入。

7日の午後2時に岡ちゃんの病院に着きました。

1階、受付で面会のカード(首からぶら下げる札)をもらい、マスクをして4階の病室にエレベーターで向かいました。

4階のナースステーションの前を通る時、中に向かって大きな声で「こんにちわ」と、言って通ります。

「見舞いに行ってナースステーションの前を通る時は必ず挨拶をせなあかんよ」と、教えてくれたのは介護の仕事をしているAちゃんです。

それまでは、警察病院でも、相生病院でも、ナースステーションの前は黙って通っていました。

正直 言って、目だたない様にコソコソと云った感じで。

ナースステーションの前を通り過ぎた時、ナースが私の後を追っかけて来て私に言いました。

「〇〇さん(岡ちゃん)は月曜日の夜、亡くなられました。Bさん(成年後見人)から聞いておられませんか?」と。

「はい、聞いていませんが」と、私。

ナースがちょっと不信がるので、スマホの着信履歴の部分を見せると、納得してくれました。

この後、岡ちゃんの持ち物を手渡され、私は空になった岡ちゃんのベッドを見て(確かめて)病院を後にしました。

かくのごとく、私が見舞いに行って髭を剃って上げた月曜の夜に岡ちゃんは天国に旅立ったようです。

私、かけふの伴侶である岡ちゃんは月曜日の夜、73歳にて永眠したようです。

岡ちゃんに対して、みな様から賜りましたご厚情に心より感謝、致しております。

平成最後の年31年3月

みなさん、私のことは心配しないで下さいね。

去年の暮くらいから、覚悟をし始めていましたから。

岡ちゃんをいつまでも、私のエゴでこの世に引き止めてはいけないと。

「岡ちゃん、もし、亡くなったお父さんや、お母さん、兄弟が迎えに来たら一緒に行って良いよ。僕は大丈夫だから・・」と、岡ちゃんにいつか言おうと思っていましたから。

もし、言ってしまったら即、行ってしまいそうだったので言えずじまいでしたが。

今から思えば、岡ちゃんの死に顔を見ないですんで良かったと思います。

生前、ベッドで寝ている岡ちゃんの眼の中をのぞき込んだ時、私の眼を見返してくれた岡ちゃんの純真な、不思議そうな表情が、そのまま、私の心に残っているから。

もし、岡ちゃんの死に顔を見ていたらワンワン泣き出して、みんなに変に思われたかもしれませんし。

岡ちゃんと出会った当時の私は、箸にも棒にもかからない変な人間でした。

岡ちゃんの心を、ずたずたにするようなこともいっぱいあったと思います。

よく、40年近く、辛抱して私と付き合ってくれたと思うと、岡ちゃんには感謝、感謝です。

岡ちゃんのことに関して、成年後見人のBさんに、「岡ちゃんの遺骨はどうなっていますか?分骨は可能ですか?」と、正直言うと聞いてみたいのですが、私の方からあえて連絡をするのは止めます。

もし、あちらから私に連絡が来ないのであれば、それはそれで仕方のないことです。

今、私が住んでいる住之江区に越して来る前、岡ちゃんのタンスの引き出しを整理していたら岡ちゃんの虫歯が1本、出て来ました。

今はそれを、私の財布に入れて、持ち歩いています。

私は岡ちゃんの虫歯が、岡ちゃんの遺骨代わりに充分だと思っています。

でも、良いよな。 天国って。

圭ちゃんも居るし、こなべちゃんも居るし。

けいすけも居るし、さーちゃんも居るし。

たかちゃん信ちゃんも居るし。

そして、岡ちゃんが可愛がっていた猫たちも、居るし。

それに、それに、丸メガネ君が眉をひそめた「耳毛の、クリスマスケーキのYさん」も居るし。

岡ちゃんも、おいおい、彼らと会って昔話でもすることでしょう。

岡ちゃん、僕はもうちょっとこの世に居るから、行くその時まで待っていてね。

長い間、本当に長い間、ありがとう。

僕は大丈夫だからね。

と云うことで、昨夜は岡ちゃんの大好きなビール(キリン一番搾り)と、日本酒と、岡ちゃんの好きな酒の当てをいっぱい買って来て、「しばしのお別れ会」を二人でしました。

飲み始めたのは八時半。 

寝たのは10時過ぎ。 私は酔い潰れてしまいました。

みなさん、かけふは大丈夫ですから、ご安心を。

病院の後は、涙をジャンジャン流しても大丈夫な所、スーパー銭湯に行きました。

その話は、3月8日の日記に書きます。

3月7日の歩数は、6,204歩で、4.7km。

今日の出費 ライフ(日本酒・缶ビール・焼き鳥・あさり等)

                        3,989円

あえての電話や、メール、投稿は結構ですよ。

かけふは、本当に大丈夫ですから。

普段通りにお願い致します。 

涙腺が壊れたらいけないので。