今日、午前9時半に家を出て、地下鉄四つ橋線に乗り、なんばで千日前線に乗り換え、新深江に行きました。
時間は午前10時頃、地下鉄千日前線に乗っている時の話です。
私は進行方向に対して右側に立ち、座席端のポールを左手で握り体を支え、本を読んでいました。
今里駅が近付いて来た時、私の前に座っていた上品で小柄なお婆さんがゴソゴソし始めたので、降りるのだなと私は思い、握っていたホールから手を離し、彼女が最短距離でドアに向かい降車できるようにしました。
電車がホームに停まった時、背中にリュックを背負い、右手に杖を持っていたお彼女は、ゆっくり立ち上がり、ドアの方に向き、立ちました。
ドアが開き、他のお客さんがゾロゾロ電車を降りて行ったのに、彼女は出口の左側に立ったままです。
どうしたのだろうと彼女を見ていると、彼女は出口の右側にある縦の手すり(ポール)を指し示しながら、さかんに何かを言っているのです。
他のお客さんはみんな降りてしまい、早くしないとドアが閉まってしまいます。
私は訳が分からず、オロオロしていました。
反対側の座席の端に座っていた大柄なお爺さんも、異常に気付き彼女の側に来ました。
ここで、私はやっと、彼女が言わんとしていることが分かりました。
彼女は出口の右側のポールを両手でつかみ、左の足から出口をまたぐ様にして電車を降りたかったのです。
閉まりかけたドアを私の背中で止め、彼女の小さい両肩を支え出口の右側のポールに連れて行きました。
ポールを両手でつかんだ彼女は、彼女なりの素早さでポールに彼女の体重をあずけ重心を移し、左足を先に車外に出し、よろけながら電車を降りました。
私が背中でドアを止めたので、電車は直ぐには発車をせず、少し間がありました。
その間、彼女は目の前にあったベンチの端に座り、電車の発車を待っていました。
私は、彼女が何をしようとしているかが分かり、私の両目から涙が出てきました。
私は、「彼女がポールを指さしした時点で、彼女の行為を理解し、彼女を安全に電車から降ろして上げられなかった」、「私は今週の火曜日の介護実習講座で杖を持った人の介護の仕方を習ったばっかりなのに役に立たなかった」と、心の中で自分の至らなさを知った途端、涙が出てきたのです。
ドアが閉まり電車が動き出した時、私が彼女に向かって丁寧に頭を下げたら、彼女は私を見つめて私に頭を下げ返してくれました。
たった、それだけのことでしたが、私の心を優しい気持ちで包んでくれました。
今日の歩数は、8,117歩で、6.2km
今日の出費 カナート(食パン・あらめ・切り干し大根)
393円
ふ〜さん、投稿、ありがとうございました。
林芙美子は特に好きと云うこともありませんし、嫌いでもありません。
林芙美子の「めし」や、「放浪記」等の代表作は読みました。
芙美子の子供時代は、泣きたくなるくらいに貧乏だったんですね。
舞台を観て、3、4ヶ所で泣いてしまいました。
貧乏と、運の無さと、体を張って生きる姿がいじらしくて。
村上幸子歌唱の「放浪記」は、私のレパートリーに入っています。
「斜めにしいた せんべい布団・・・」
泣けてきますねー。
そうそう、昨夜はすごい霧でした。
乳白色の夜霧がただよい、何本ものオレンジ色の街頭(ナトリウムランプ)がにじみ、幻想的でした。
明日は介護実習講座の最終回です。
テーマは、口腔ケアです。 頑張って来ます。
明日は寒くなるようです。 体に気を付けて下さいね。