G20って、本当にみんなで会議をしたのでしょうか?
なんか、マスコミ向けの記念写真、集合写真ばかり撮っている感じです。 それとセレモニー。
1泊2日の会議というよりは、それまでの根回しが重要なのでしょうね。
晩餐会も、狂言や、ピアノ演奏、みんな退屈そうでしたね。
Fさん、投稿、ありがとうございました。
私も、一人暮らしになってからは、天ぷらや、フライ物はしたことはありません。
火を出しそうで怖いのと、残った油がもったいない気がしたので。
たまに美味しい、美味しい天ぷらが食べたくなりますね。
でも、外食は高くつきます。
昔の大阪の一膳めし屋は、何処に行っても安くて美味しかったです。
でも今は、食堂と言えばチェーン店ばかりです。
四国に行っても、大阪と同じチェンー店ばかりでした。
味が均一で、特に不味くはありませんが、特に美味しくもありません。
ほんと、味気ない限りです。
どこに文句を言えば、良いのでしょう?
「かけふの履歴書」
「橋」以外に時々、「誠」にも行くようになりました。
そんなある日、「周年記念のパーティーをするから手伝って」と、誠のマスターに言われて私は、手伝いました。
その頃は、通称「ぼて和」と呼ばれていた「和ちゃん」が、中に入ってヘルパーをしていました。
私と同い年で、太っていて、口八丁手八丁の子で、歌もうまかったです。
私は、ゲイの世界に入って毎日が面白くて、楽しくて仕方のない頃でした。
店が終わると、マスターが、和ちゃんに1万円を渡します。
それが、その日の二人の日当で、和ちゃんは私に、5千円を別けてくれました。
和ちゃんと比べたら、何もできない私でしたが、和ちゃんと同じ日当をもらって、私すごく嬉しかったです。
この頃は、店が終わってからみんなで、新世界にある田園という深夜営業の喫茶店で飲み食いをしていました。
この当時、私は既に天王寺区に越して来ていたので、帰りはいつも歩きでした。
周年記念で�Tヶ月間、働きましたが、これが縁で「誠」を、よく手伝うようになりました。
もちろん、昼の仕事もちゃんとやっていました。
この頃の天王寺公園は解放されていて、公園で寝泊まりをしている人がいっぱいいました。
誠のマスターは、店が終わってからお持ち帰りの弁当を買い、公園に行き、浮浪者(野宿の男)に上げていました。
お互いに、男同士のセックス付きであることは承知の上です。
浮浪者の方も、飯にあり付けるのと、抜いてもらえるとで、一石二鳥です。
だから、両者にとって、良いことづくめだった訳。
当時は、汚れ専門の人達も結構いて、浮浪者と遊ぶ人が結構いました。
みんな、公園でどんな男と遊んだかを自慢しあっていました。
今から私が思うと、この頃の浮浪者は心が純な男が多かった気がします。
見た目は垢だらけでボロボロの服装でしたが、純がゆえ、世の中に付いて行けず落ちこぼれたって感じの人が多かったです。
早い話が、無口で、世渡りべたで、気の優しい人が多かったです。
誠のマスターは、公園で知り合った浮浪者にお金を渡し、「風呂に行って、散髪をしておいで。もうちょっと小奇麗にして、店においで」と、ほんたまに声を掛けていました。
もちろん、飲みに来ても、飲み代はただです。
その後、その男が店に来たら、他の人に「どうや?」と、勧めていました。
別に金をもらって、売りとばした訳ではないですが。
この頃はまた、一心寺の裏辺りは大いなるハッテン場でした。
当時は墓場もまだオープンで、出入りが自由でした。
墓の中での男同士の青姦ですが、携帯電話が出回った頃、生中継した人がいたそうです。
スナックで飲んでいる友達に、ヒソヒソ声で。
「今、パンツを脱がして、尺八を始めた。云々」と、出歯亀の生放送です。
また、一心寺の裏道には、車がいっぱい駐車をしていました。
運転席を見て、これはと思う運転手がいたら窓ガラスをノック。
お互いに良かったらカーセックスまたは、ホテル直行です。
また、ワンボックスカーの後ろに裸の若い男が尻を丸出しにしてうつ伏せで寝ていることも、時々、あったそうです。
その裸の男の脇には、炬燵の足。
その炬燵の足を、お尻に入れてくれという意思表示だったそうです。
噂では、自衛隊員だったとか。
あー、想像をしただけで、生唾が出て来ますね。
そして、茶臼山。
この頃は、夜のハッテン場はあちこちにあり、本当にゲイの天国でした。
でも、夏場の野外プレーは大変だった様です。蚊が、多くて。
また、動物園の金網のフェンス(高速の下)に、全裸の男が縛り付けられていたこともあったそうです。
私は見てみたかったのですが、遭遇出来ませんでした。
店の従業員である和ちゃんと私は仲良しになり、よく一緒に遊びに行きました。
ある夏は、2人で須磨のゲイビーチに行きました。
阪神淡路大震災よりずっと前のことです。
今より砂場が多く、黒猫、六尺、全裸、色んな老若男男がオープンに遊んでいました。
私と和ちゃんは、真夏の太陽の下、スッポンポンで走り回っていました。
「写真のモデルになってくれへんか?」と、知らない人に頼まれました。 そして、「家に来てくれへんか」と。
でも、知らない人の家に行くのは嫌なので断りました。
でも、今から思えば、記念に撮ってもらえば良かったですね。
これは、余談話です。
自衛隊の宿舎は田舎というか、不便なところにあります。
彼らはホモ同士、誰かが代表でアパートを借り、セックスの為、部屋を共同で使っていたそうです。
誰かが話していました。
つづく
28日、フランスで45度9分、記録的暑さ、死者も。
ヨーロッパは猛暑だそうです。
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