今日は一日、どう過ごそうか?と考えて、大阪の天満宮から天神橋商店街を散策しようと決めました。
私のイメージでは、天神橋商店街は何となく掘り出し物が見つかりそうな街です。
良いものがあったら、買おうとの心づもりで出かけました。
郵貯銀行で金をおろして。
地下鉄の中で、私と若い娘とがぶつかりそうになったので、私が前を譲ると、その娘が手刀を切るように右手を動かして、「ありがとう」と意思表示をしました。
えっ、女の子が手刀と一瞬思ったけれど、それと同時に爽やかな感じもしました。
乗換駅で、小柄なお婆さんが男物仕立てのような大きなブルゾンを上手く着こなしていたので驚きました。
肩や手には大きな荷物を持っていましたが、行動的で格好良かったです。
10時過ぎに家を出て(この時点では曇り空)、天満宮に着いたのは11時15分。
なんかここに来る度に境内は雑然としていて、さえない感じです。
昔は広々として、気持ち良かったのに、です。
正直言うと、天満宮辺りから天神橋商店街、天五中崎通りは私の青春の思い出の地です。
男が欲しくて、抜きたくて、ウロウロしていた街です。
天満宮では銀杏をひらって、手がかぶれた経験もあります。
天満宮から商店街にもどって、「あっ、ここに良い物を売っていそう」とお店の前に立つと、中から「いらっしゃい」と人が出て来ます。
例えば2,000円以下のリュックとか、アスコットタイに出来そうな端切れを売っていたりしていた時にです。
こういう場合、私はついつい店主の顔を見たら、店を離れてしまいます。
昔懐かしい店(50年前にあった店)が、今でも健在だったりしたら嬉しくなったりします。
国重と云う刃物屋や、本屋や、瀬戸物屋など。
天六に行き、ふ〜さんが来阪した時に行った「大阪くらしの今昔館」にも入りました。
受け付けは8階。
私は大阪在住の65才以上だから、無料。
「写真を撮るのは自由です。カバンやリュックはロッカーに入れて下さい。もし、リュックを持って行く場合は、背中ではなくて前に、胸の部分に掛けて下さい」・・との注意。
見学は10階からスタート。
なにわの町並みを下に見て、9階に降りて、町並みを歩きました。
私は10階でスマホを出したのは良いけれど、注意されたことを忘れて、リュックを背中に背負っていました。
係りの若い女性に注意をされて、「あっ、忘れていた」と、私。
その後、私は、その女性に色いろ個人的に説明をしてもらいました。
「畳の部屋には、靴を脱いで上げってみて下さい」とか、木の戸を開けて、「ここは従業員用の便所です」とか。
これは、静電気を起こす物ですとか、銭湯のセットでは、中まで私を案内してくれました。
「昔は男女、混浴でしたよね」と、私。
「江戸と違って大坂では各家庭に風呂がある所が多く、銭湯は江戸より数は少なかったそうです」と、彼女。
中に入って驚き。
湯船は一つ。大きさは2畳くらい。
へ〜、本当かなという小さな湯船。 洗い場は広かったです。
それと、上り湯用の湯は、特別に沸かされていて、それを係りの人からもらっていたそうです。 桶一杯だけ。
商家のセットの所に、台湾(?)の娘2人がいたので、商家のポットン便所の戸を開けて、「トイレ、トイレ。これ、男トイレ(チューリップ)」と私が言うと、「ふんふん」と、2人。
その奥に合った風呂の戸を開けて、「バス、バス」と言ったら、2人はキョトン。
私が身体をゴシゴシ洗うゼスチャーをしたら、「分かった、分かった」と、国の言葉で返事。
後、井戸や、飲み水を入れる甕(かめ)の説明をして上げました。
その後、昭和のコーナーに行きました。
下の写真は「城北バス住宅の暮らし 昭和23年」との説明書きがありました。
場所的には旭区でしょうか? バスの住宅があったようです。
なんか、黒沢監督の映画「どですかでん」みたいでした。
そして地下鉄中崎町辺りを歩きました。
昔、ハッテン場の淫乱宿や、ゲイのマッサージ屋があったあたりです。
それから新梅田食堂街を通って、四つ橋線の西梅田に行き、地下鉄で帰って来ました。
家に帰って来たのは午後2時半頃。
今日は楽しかったです。
「大阪くらしの今昔館」は本当に行くだけの価値のある所でした。
今度は此花区に行って来ようかな。
薬草湯もあるみたいです。
それから、商店街の古本屋では、映画関係の月刊誌などが全て100円で売られていました。
明日も良いことがありますように。