今日は、市営住宅の書類に姉の判子をもらうのを主の目的として、介護施設に入っている小母さんの見舞いに行きました。
午前10時過ぎ、姉の車で小母さんの入っている介護施設に向かいました。
これまで、「ここを右に曲がって」とか、何度も同じ道を私が案内したので、もう姉も道を覚えたであろうと黙っていると、姉は道を間違えてばかりでした。
姉自身は、「ここは右だ」と思っていても、私が指示を出さないと永遠に真っ直ぐ行ってしまいそうでした。
私が何時も同乗をしている限り、道を覚えない様です。
姉の車のカーナビも、10年前の古い物なのであまり役に立ちません。
小母さんの施設に行きましたが、小母さんはすこぶる元気そうでした。
夫を亡くして間のない小母さん(82才)ですが気丈にしていて、「最近、ボケて来た」とみんなは心配をしていましたが今日、会ったら昔の記憶も、最近のこともはっきりと覚えている様子だったので安心しました。
ただ、小母さんの目が少しずつ悪くなり、姉や私を顔では判別できなくて、「〇〇ちゃん」と私の子供の頃の呼び名で、何度も確認をとっていました。
ただ、驚いたことは、他人の悪口や、愚痴を一つも言わないことでした。
そして、要らないことは喋らないようにしている様子でした。
例えば、目が見えない小母さんの食事中に、1から10まで、手取り足取りで色いろ面倒を見てくれる人がいるそうですが、自分で分かっていることも黙って、「はい」と言い、逆らわないようにしているそうです。
小母さんが、「ありがとう」と言うだけで、相手の人は世話をして上げたという幸福感にひたれるのだから、最高の功徳だと私は思いました。
娘や孫は奈良で暮らしていますが、自分はこの施設で暮らして行く覚悟があるようでした。
偉いなー、と私は感心をしました。
小母さんの食事の時間になったので、私等は別れを告げて帰ることにしました。
住之江公園まで戻って来て、ガストの駐車場に車を停めようとしたら満車。 時間は12時15分。
仕方がないので住之江警察に車を停めて、「カレーハウスCoCo壱番屋」に入ることにしました。
ここはコロナ対策もされていて且つ、空いていたので良かったです。
姉もカレーが好きだということで、尚、良かったです。
私はカレーの辛さをプラス1にしてもらいましたが、私には程よい辛さで、ちょうど良かったです。
姉と私、それぞれカレーとサラダを頼みました。
独り暮らしの姉(75才)の年金は、年額90万円だそうです。
それでも尚、私のカレー代も払ってくれました。
申し訳ない気持ちでしたが、姉としての、身内としての思いやりとして、快く受けさせてもらいました。
どうして姉は太っ腹なのだろうと、いつも感心しています。
誰に対してでも親切です。 偉いなー。
「日輪の遺産」の玉音放送の日の早朝のクーデターの場面は手に汗を握りながら読みました。 ど迫力。
学徒動員の少女35人プラス男の先生の話ですが、34人の少女は自らの意志で青酸カリを飲んで死に、純粋な先生は「案内をする者がいないと生徒が困るだろうと」後からピストル自殺をします。
ただ一人、級長の少女はたまたま後片付けをしていて難を逃れました。
少佐も、中尉も、軍曹も、少女たちの命を守り家に帰そうと奔走しましたが、彼女たち自らが選んだ死でした。
読んでいて、涙なみだ・・でした。
これから、小説がどうなるのか? 楽しみです。
甘党のAさんから電話。
「テレビでね、映画『日輪の遺産』をやっていたので録画したけれど観る?」との問い。 「観る、観る」と、私。
「送ろうか?」とAさん。 「急がないから今度で良いよ」と、私。
「それからね、イソジンの中の成分ポピドンヨードでうがいするとコロナに良いんだって。スーパーの薬売場に行ったら1個、残っていたので買ったよ。もう1軒、薬屋に行ったけれど、そこはもう売り切れていた」と、Aさん。
ほんと、みんなは藁にもすがる思い・・なのでしょうね。
住之江区南港北の研修施設アカデミアに収容されていたコロナ陽性の若者が3日の早朝、警備の人の目を盗んでコンビニに買い物に行ったという話。 驚き。
お盆の帰省に関して、菅官房長官や、西村経済再生相は中途半端な、煮え切らない話をしています。
ハッキリ言えば良いのです、「あなたが良いと思ったことに責任を持って行動をしなさい。周りのことを考えて」と。
今日ももう直ぐ、終わりです。
今日も楽しい、一日でした。 感謝です。
明日も、きっと、きっと、素晴らしい一日になりますように。