今月の20日、Aさんの送別会をしました。
「23日の朝一番、8時に運送屋(サカイ)が来るけど、マンションのコンシェルジュが来るのが9時なので運送業者の車はマンションの敷地内に入れない。どうなるのかな」と、Aさん。
今日がその23日。
Aさんはもう岡山に帰ったのかな。
Aさんが買うマンションが建つのは来年。
半年くらいは賃貸マンションでの仮住まい。
「僕はもう19回、引っ越しをした」と、Aさん。
「僕は農耕民族だから引っ越しはいやだな。Aさんは遊牧民族だから引っ越しは何ともないでしょう?」と言うと、「何ともない」と、Aさん。
一昨年の10月18日に賃貸マンションから、終の棲家として今の団地に越して来たけれど、引っ越しは寂しくて、淋しくて・・私は引っ越しが大嫌い。
今回は岡ちゃんのこともあって、悲しい一人ぼっちの引っ越しだったからなおの事。
Aさんのように、大らかな気持ちで引っ越しが出来たら、どんなに良いだろうと、私はうらやましく思いました。
例え、仮住まいでも、マンションが建って新居に引っ越しをしても、Aさんはその都度、前向きに生きて行くのでしょう。
偉いなー。
私の一番最初の引っ越しは、私が10才の時。
島根県のど田舎から大阪への、家族ぐるみでの引っ越し。
夜汽車に揺られて多分家族5人、大阪に来ました。
私達は進行方向に向かって左手の席に座り、私自身は進行方向に背を向けて座りました。
右手の窓から見えるのは夜の日本海。
そして、チャポン、チャポンと静かな波の音。
左手に見えるのは田んぼや畑。 その後ろは山また山。
灯りが点った家が点々と遠くに見えていました。
たまに駅に停まるけれど、深夜、乗降客はなく暗いホームに電球の灯りがポツン、ポツン。
汽車が動きだし、闇の中に見える景色が後方へ、後方へと去って行きました。
この時の情景が今でも瞼によみがえります。
約60年前の夜の景色です。
この時の経験、気持ちが、私の人生を大きく支配してきたかも。
今さら、どうしようもないことだけれど。
今日も本を1回も開かなかったです。
明日は頑張って、本を読むつもり。
ということで、明日も希望に満ちた一日になりますように。