昨日、Aさんと、「何か美味しい物を食べに行きたいね」という話になり、Aさんが「そばを食べに行こうか?日曜日に車で迎えに行くよ。行こう、行こう」ということになりました。
そして、今朝、私は電話をしました。
「そばを食べに行くのはコロナが落ち着いてからにしようよ」と。
Aさんも快く、了解。
コロナ禍は、もう少し。 後、ほん2、3ヶ月の辛抱。
今日、伊吹有喜著の「雲を紡ぐ」を読み終えました。
登校拒否をしていた女子高生の美緒はホームスパン作家をめざし、離婚を考えていた両親も仕事の都合で離れて暮らすことになりそうですが、美緒の父、母としての夫婦を続けることに落ち着きました。
夫である広志が一方的に性生活をしなくなったことに関して広志が妻に言いました。
「仕事も忙しくて疲れていたし、娘も大きくなったので(部屋の事情)」というようなことを。
性生活がなくなったことに関して、妻である真紀は口にこそ出さなかったけれど、不満だったようです。
他人同士の男と女が同じ屋根の下で暮らすことは大変なこと。
漫才師の宮川大助花子は、言っていました。
「二人でラブホテルに行っている」と。
今日から読み出した本は、恩田睦著の「スキマワラシ」です。
スキマワラシとは、座敷わらしのような童子で、箪笥の下の段のような隙間に隠れている童の意味のようです。
骨董とか、遺品、忘れ物とかのモノに残っている思念を読み取る人(二人兄弟の弟)の話のようです。
まだ、読み始めたばかりで詳しいことは判りませんが。
今日の朝刊の1面下段の「編集手帳」に書いてありました。
“下水処理場を作って、汚染水を浄化して海に流していたら漁獲が減った”と。
排水が綺麗になり過ぎてプランクトンが育たなくなったからだとか。
そこで、兵庫県は浄化の基準を見直し、海藻などの栄養となる窒素やリンを処理水に適度に含ませる改革を進めているそうです。
ことわざにある、「水清ければ魚棲まず」の、ようです。
夕刊の1面の下段の「よみうり寸評」に書いてありました。
2021年1月時点でのホームレスの人は、全国で3,824人だったそうです。
一所懸命生きているのだけれど上手く世渡りが出来ず、現在住んでいる住居の家賃が払えないとか、且つ、スマホ等の電話を手放す前に、地元の役所に相談に行くべきだと私は思います。
最後の最後には生活保護の手続きをして、安い家賃の住宅に移れば良いのですから。
生活の立て直しは、それから考えたら良いのです。
でも、賭博とか怠惰な生活で身を持ち崩した人は同情に値(あたい)しませんが。
今日も団地を一歩もでませんでした。
何というか、心の均衡が時々、崩れそうになるような時もありますが、ゆっくり、のんびり、あせらず、生きて行くつもり。
明日も、明後日も。
明日が希望に満ちた素晴らしい一日になりますように。