夕刊の6面の随筆を読んで、私はビックリしました。
随筆の題は「五右衛門風呂 恐かった鉄の釜」で、寄稿者は作家の青来有一氏。
有来氏が子供の頃は、銭湯に行っていたそうです。
その銭湯が休みの日は、お風呂のある家でもらい湯をしていたとか。
まず、お母さんと幼い弟が入れてもらい、その後、お父さんと有来氏。
そして、もらい湯をしたお風呂は五右衛門風呂だったとか。
五右衛門風呂の釜のへりに触れたり、底板を踏み外したら、少し熱い思いをすることも。
その五右衛門風呂に入りながらお父さんから、石川五右衛門の釜茹での話を聞かされたかどうかは有来氏は覚えていないらしいけれど、ただ、釜茹での時、石川五右衛門が幼い子供をかばって頭上に持ち上げていたのを、最後は熱くて足の下に敷いた、という悲惨なところだけが記憶に残っているそうです。
「えっ! 子供も一緒に釜茹でにされたの?」と、私はビックリ。
インターネットで調べたら、
安土桃山時代、石川五右衛門は義賊として名をはせていたそうです。
でもある時、豊臣秀吉の命を狙ってお城に忍び込んだ時、捕まってしまったとか。
そして、言い渡された刑が釜茹での刑。
母親や、幼い息子(五郎一)や、一族郎党と一緒に。
その釜茹での刑で五右衛門が、息子を熱さのあまりに足の下に敷いた、という話でした。
私は五右衛門が一人で処刑されたものだと思っていたので、ビックリ。
そんな悲惨な話、知りたくなかったと、いうのが私の本心。
幾ら義賊でも、人の物は盗んではいけないと、私は思います。
でも、本当に困った時は、なんて考えたら断言は難しいかも。
ジャン・バルジャンの例だって、あることですし。
実を言うと、私が小さい時は家にお風呂がなかったので、もらい湯をしていました。
隣の家、小林さんの家の五右衛門風呂に入れてもらっていました。
弟だった私は若い母と一緒に入っていました。
また、母方の祖父、祖母の家も五右衛門風呂でした。
大家族が一つの五右衛門風呂に入るって、時間がかかって大変だったことでしょう。
詳しいことは覚えていませんが、今から思えば凄く、懐かしいです。
男好きの変人さん、投稿、ありがとうございます。
私の書いたことが少しでもお役に立っているのでしたら、嬉しいです。
楽しみですね、変人さんもブログを始めたらどうですか?
私は、つつましい生活を心がけているのではなく、欲しい物がない、欲しい物が見当たらないというのが正しいのかも。
でも、同じ生きるのだったら貪欲(太く長く)に、清く正しく生きたいものだと私は常々、思っています。
お互いに頑張りましょう。
午後の4時頃、何か美味しそうな物(晩御飯)はないかとスーパーに行きました。
店内を1周しても、これといった美味しそうな物はなし。
仕方がないので朝食用の食パンと、もやし(昼のカレーうどん用)を買いました。
スーパーの2階に上がり、抗菌のスリッパ(1,518円で税込・サイズはL)を買って、帰って来ました。
そんなこんなで今日も一日が終わりました。
今日の大阪は爽やかな一日でした。
今は、団地の築山の雑草の中から虫の声が聞こえています。
虫の声を聞いていると、心が洗われるような感じです。
明日は、今日以上に喜びで心が震えるような、嬉しい、楽しい一日になりますように。