「かけふの履歴書」
この頃、南のスナック「アロン」という店でも、マスターから「周年記念を手伝って」と言われて、手伝いました。
この頃のヘルパーの相場は一日5千円で、月給の場合は15万円でした。
気の利いた会話も出来ない、歌も下手(この頃は音痴で有名でした)、ただ黙々と飲んでいるのが私の取り柄でした。
この店は気取った店で、ノンケの人も、女性も入れていました。
店に置いているウイスキーは洋酒で、キープ1万円でした。
店はガラス張りで、一角には楽器が飾ってあり、マスターのTさんは、神主さんでした。
パーティーの時の従業員は、私を入れて4人。
マスターはカウンターの外でした。
考えてみて下さい、気位の高い高級スナックに、坊主頭の私が中に入っていたのです。
場違いで笑っちゃうって、感じ。
私意外に、適任者はいなかったのでしょうか?
でもでも、私は、毎日が楽しく仕方がなかったです。
でも、話は変わりますが、私が20代半ばの頃、スポーツ刈りでリーガロイヤルホテルの1階、軽食喫茶「ボンジュール」でウェーターをしていました。
赤いチェックのベストに黒いズボン、そして蝶ネクタイで。
でも、時間給が滅茶苦茶良くて、私は驚愕でした。
正社員より、アルバイトの方が手取りで、金額が上でした。
このホテルでも、場違いな私でしたが、みんなから、可愛がられていた気がします。
ホテルでのウェーターのアルバイトは夕方の5時から9時まででした。
終ったら、牛タン入りカレーライスとか、プチケーキとか食べ放題でした。 楽しい思い出です。
このアロンでは、男同士が出来ると言った雰囲気はなく、私も当然のごとく、アロンのお客さんとは何の関係もありませんでした。
この店からも歩いて帰っていました。 30分かけて。
アロンのマスターは、どちらかといえばMが勝った人で、優しい人でした。
私は、マスターに片思い・・・でした。
一回だけ、私からお願いして、キスをしてもらいました。
その頃はまだ、純だったから、それだけで嬉しかったです。
ちなみに、誠のマスターはSで、連れ込みホテル(ろか・今のタワーサイドホテル)の天井裏に、SMの道具を隠していました。
話は元に戻りますが、高級スナック「アロン」に入っていたKちゃんが独立して、スナック「のらくろ(歌舞伎座裏)」を始めました。
Kちゃんは、私と同い年で、背が高くガタイの良い子で、日舞も出来る子でした。
だから、時々、ナイトクラブなどのショーに出ていました。
ナイトクラブでは、おしぼりでペニスもどきを作り、口にくわえる所作などを取り入れたエロチックな日舞を舞っていた様です。
岡ちゃんと出会ってからは、2人で「のらくろ」に、よく行きました。
岡ちゃんはこの店では、当時、流行っていた「奥飛騨慕情」とか、「紬の人」をカラオケで唄っていました。
私と言えば、都はるみの「浮草くらし」を、音痴なりに唄っていました。
「アロン」のマスターTさんは亡くなったけれど、「のらくろ」のKちゃんは今、どうしているのでしょう?
Kちゃんとは遊んだことはないですが、よく梅田サウナで会いました。
つづく
「かけふ日記」
昨夜は月齢3.3で、三日月でした。 綺麗でした。
今朝は朝食を食べた後、散髪をしました。
その後、風呂で髭を剃りましたが、安全カミソリの刃を替えたばかりだったので、右の小鼻を切ってしまい、血、タラタラでした。
布団を干す時、ベランダに裸足で出たら、「痛っ!!」でした。
足の裏を見ると、どうもなっていない。
もう1度、足を床につけると、また、「痛っ!!」
2回目に見たら、血がにじんでいました。
老眼鏡を掛けてよく見ると、1ミリくらいの先の尖ったガラスの破片が刺さっていました。
毛抜きで抜き、アルコール消毒をしたけれど、今日は2回、怪我をしました。
夕方になっても、食欲はゼロ。
お腹は空いているのに、です。
仕方がないので、スーパーに。
スーパーを3周くらいしていたら、割引シールが張られ出しました。
予算オーバーだけれど、鯖の寿司盛り合わせ、もり蕎麦、中華春雨サラダを買い、清水の舞台から飛び降りたつもりで、日本酒を買いました。 菊正宗ピンです。
今夜は、冷やした酒を飲みながら、好きな鯖寿司と蕎麦を食べるつもりです。
これから夏、体力を付けておかなくてはいけません。
世界は、異常気象。 みなさん、頑張りましょう。
投稿、ありがとうございました。
「肛門を使っている」と、ばれても仕方がないことです。
事実ですから。
今日の歩数は、スーパーへの行き帰り。
今日の出費 ライフ 1,350円 晩飯だけで、です。
明日も良い日でありますように。 みんなにとって。