日曜日

「かけふの履歴書」

私がスナック誠のカウンターの中で手伝いをしている時、お客さんがマスターに話していました。

「付き合っている男に捨てられた」と。

そして、びーびー、泣いていました。

それを見ていて、私はすごく驚き、不思議に思いました。

所詮、男同士の世界・・何故、惚れたはれたで泣くのだろう?と、当時は思っていました。

何故、そう思ったかと言うと、私はSMの世界からスタートしたので、男が男を好きになる、全身全霊で好き(ラブ)になるというのが、当時は理解できませんでした。

「セックスはスポーツ」と、当時、私は思っていましたから。

所詮、男同士の世界、浮気者ばかりの世界、真実の愛は存在しないと、真剣に思っていました。

それなら、僕が、「ホモの夫婦の鑑」と言われるような男を見つけようと、決心しました。

それに値する男を、探しに行こうと、心に決め、次の日に出かけました。

私は営業だったので、昼、難波のハッテン場のサウナ「大劇サウナ」に行きました。 営業のカバンを持って。

浴場や、サウナ内をウロウロしましたが、目ぼしい男は見当たりません。

布団が2列に敷かれている薄暗い仮眠室に行くと、私の向かいの布団列で私を見ている男がいました。

私は、その男に対して、私が確保している布団から、「こっちに おいで」と手招きをしました。

すると、男が来ました。私の布団に。

そして、手と口で、お互いに出しっこをしました。

その男こそ、岡ちゃんです。

その後、一緒にサウナを出て、喫茶店に行きました。

それから、岡ちゃんと私の付き合いは始まりました。

ホテルに行く習慣のない私は、借りていた1Kの賃貸マンションに彼を連れて帰ったら、岡ちゃんが直ぐ、住み着いてしまい、同棲が始まったのです。

まだ、この時点で私は、山陽の彼と付き合っている状態だったので、彼に別れてもらう為、彼の所に行きました。

岡ちゃんはこの時、大阪駅まで私を見送りに来てくれました。

「大阪に新しい男が出来たので、別れて欲しい」と、彼に言い、納得してもらいました。

この時、山陽の彼がどんな気持ちでいたのか、私は全く考えていませんでした。

二股を掛けたらいけない、誠意を示さなくてはと、そんなことばかり考え、彼がどんな気持ちでいたか、全く思い及んだことはなかったです。

本当に今、「かけふ履歴書」を書いていて、気が付きました。

彼には本当に、申し訳なかったと、今、気が付きました。

若気の至りでした。 Mさん、ごめんなさい。

これで山陽の彼とは手が切れたと、私は大阪に嬉々として、帰って来ました。

彼と同棲を始めた当初は、まー、新婚夫婦の様なもの。

家にいる時は、セックスばかりしていました。

多分、私が32、3才で、岡ちゃんが35才くらいだったと思います。

まー、休みの日などは、朝昼晩です。

「パンツを穿く暇がなかった」と言うと、ちょっと大げさですが。

それからは、私が出入りをしていたゲイスナック全部に岡ちゃんを連れて行き、みんなに岡ちゃんを紹介して回りました。

北の「はせ」、南の「アロン」、新世界の「誠」、「橋」等などです。

岡ちゃんは、私の家から会社に通い、八尾にあった会社の寮(2DKの部屋)には帰らなくなったので、寮から追い出されてしまいました。

寮にあった岡ちゃんの衣類など最小限度の物を持って、正式に私の所に越して来ました。

3度の食事作りなど、家事は全て私でした。

「行ってらっしゃい」、「お帰り」の毎日でした。

当時、岡ちゃん(身長173�p)の衣類は、シンプルライフのMサイズでしたが、同棲を始めてからブクブク太り始めました。

俗に言う、幸せ太りでした。

私達2人の同棲が、40年近くも続くとは、当時は夢にも思いもしませんでした。

ましてや、死別をするなんて、です。

            つづく

「かけふ日記」は、次のページです。