火曜日

今日は今年最後の通院日。 クリニックに行って来ました。

どういう訳かクリニックは暇で先客は一人、会計待ちでした。

「調子はどうですか?」と先生の問いに、何と答えれば良いのでしょう?

「『良い時は良いですが、悪い時は良いです』なんて、返事をしたらダメだよ」と、Aさんに言われ、「もっと具体的に症状を言い」とも、言われてしまいました。

でも、どう言って良いか、判らない私です。

今日も、右手の人差し指で血中酸素濃度を測ってもらい、聴診器を当ててもらい、何時もの薬を処方してもらい、調剤薬局で薬をもらって帰って来ました。

今は、どんな形であれ、人と会うこと、人と会話することが私の喜びです。 世の中、人と共に生きているのですから。

でも、このクリニックは、えっ、平屋、2階建て?

どうなんだろう? 

でも、確かなのは入り口が1つだと言うこと。

新聞やテレビのニュースを賑わしているのは、「北新地放火」と、「神田沙也加さんの自死」の話題。

神田沙也加さんが何故、自死したのか、15�pしか開かないホテルの窓からどうして転落をしたのか、判らないことだらけ。

神田正輝さんや、松田聖子さんは今、悲しみのどん底でしょう。

本当に気の毒です。

私が小さい時、母は言っていました。

「もし自殺をしたら、あの世で苦しむらしいよ」と。

あの世まで行って苦しむのだったら自殺は絶対すまい、と私は思い、今に至っています。

また後年、自殺をした人の遺族が、「なぜ死んだのだろう。私の何処が至らなかったのだろうか?」と、苦しんでいることを知りました。

普通に人が亡くなっても遺族は悲しむのに、自死だったらもと悲しむだろうなと想像が出来ます。

自死を選んで目の前の苦難から逃避しても仕方がないです。

苦難を乗り越えてこそ、いつの日か喜びが待っていると思って生きてもらいたいもの。

何て偉そうなことを言っても、同情できる自死もあります。

私の知っている女性は膠原病の苦しみから、団地から飛び降りて亡くなりました。

そして、今日の夕刊では、「3人の死刑執行」

人間の生死って、いったいなんでしょう?

そして、生老病死とは。

通行人さん、投稿、ありがとうございました。

丼を温めるとか、コーヒーカップを温めるとか、考えたことがなかったです。 なるほど。

今度、なんとか丼を簡単に熱くする方法を考えてみます。

時計を見たら、もう直ぐ午後9時。

日記は終わりとします。 今の部屋の温度は、18.3度です。

明日は、明るくて、良いニュースが舞い込んで来ますように。

そして、楽しい一日が訪れますように。