今日、最初のお客さんはAさん(72才)とBちゃん(もう直ぐ59才)。
Aさんは子供の頃から、学校の体育の先生とか、男には興味を持っていたそうです。
Aさんが20才代も終わりの頃、普通の映画館(京劇?)で男に手を出されて、ゲイの世界に(遅ればせながら)入ったそうです。
Aさんは9才の時からバレーを習っていて、バレーの先生をしているそうです。
「北朝鮮の?」と聞いたら、「そう」と、Aさん。
Aさんが40才代の頃、金日成(キム イルソン)の誕生日か何かのお祝いで、北朝鮮に招かれたことがあるそうです。
バレーダンサー、歌手、楽団のチーム編成で行ったそうです。
飛行場では盛大な歓迎を受け、国賓並みの扱いだったそうです。
Aさんが20才代の頃、在日北朝鮮の裕福な家庭の3姉妹にバレーを教えていたそうです。
「北朝鮮は地上の楽園」とのスローガンで、3姉妹は家族と共に北朝鮮に帰って行ったそうです。
Aさんは密かに“3姉妹と再会したい”と思っていたとか。
「3姉妹の次女がお土産やをしている」との情報が入り、北朝鮮の監視員に「行っても良いか?」とお伺いを立てたら、「良い」との返事。
Aさんは早速、会いに行ったそうです。
お土産屋に入ると店員が「ウチのママさん、ニホンゴ、ジョウズです」と言うので、ママを呼んでもらったそうです。
後は、涙、なみだの再開。お互い、手を取り合って泣いたそうです。
次女は「お土産屋」兼「甘党屋」に嫁ぎ、三女は医者に嫁ぎ、長女だけは平壌から離れた田舎に嫁いでいたそうです。
北朝鮮では旅行をするにも役場に届けて、許可を取らなくてはいけない国。
北朝鮮には10日、滞在していたそうですが、長女には会えなかったそうです。
でも、帰国後に長女から手紙が来たそうです。
Aさんのダンスは、テレビで偶然に観ました。懐かしさのあまり大泣きをしてしまいました。私に、「なぜ泣いているのか?」と子供が聞くので、「日本でバレーをAさんに習っていた」と、日本でのことを話してやりました。などの内容だったそうです。
Aさんは今でも子供達にバレーを教えているそうです。
“偉いなー”と、私は思いました。
Cさんはマレーシアに6日間、行っていたそうです。
3つ年下の組合員(友達)と2人で行ったそうです。
“気心の知れた仲の良い友達”と、彼のことを思っていたそうですが、いざ一緒に旅行して、彼のわがままなのには驚いたそうです。
意見が合わないと、彼がすねたりしたそうです。
「人間ってうわべだけでは分からない」と、Cさんは言っていました。
マレーシアのお土産として「海老巻(スナック菓子)」をくれました。
みんなに出して上げたけれど、微妙な美味しさ、甘さの菓子でした。
ありがとう。
Cさんが店に来てからは、Cさんが道化役を引き受けてくれて、店は大いに盛り上がり、店は笑いの渦でした。感謝。
香港で仕事をしているDさんの来店。
香港は旧正月を祝う国。休日なので帰国したそうです。
私は去年の暮れ(12月26日午前2時頃)、部屋で頭の怪我をしたので、警察病院に行き、傷口を縫ってもらいました。
頭に白いネットをかぶさされたので、26日からは(ネット隠しの為に)ニット帽をかぶって仕事をしていました。
傷が癒えて帽子をかぶるのは止めようと一時は思ったのですが、好評なので、今もかぶり続けています。
そんな私の為にEちゃんが帽子を四つ、持って来てくれました。
お洒落な鳥打ち帽(ハンティング)を一つ。
紺に白い線の入ったニット帽を一つ。
それに、カトリックの司祭がかぶっている様な帽子(頭上を覆う小さな円の形をしたカロット)を二つ、くれました。
もらった帽子を次々にかぶって、みんなに見てもらったら、「似合っている」と、かなり好評でした。
Eちゃん、ありがとう。