土曜日  日記を書く意義

何ぜ、こんなにも風が強いのでしょう。

午後3時過ぎ、1階の郵便受けに夕刊を取り行こうと自室のスチールドアを開けようとしたら強風にドアが押し返されて開けるのに一苦労でした。

部屋に吹き込んで来た風は雪でも舞っていそうな冷たさで私は震え上がりました。

 

郵便受けには夕刊以外にポスティングされたチラシがいっぱい。

それも、まるでプラのような手触りの紙ばかり。

夕刊以外のチラシは全て、ポスティング専用のゴミ箱に入れて帰って来ました。

 

今日の夕刊の1面の下の方にある、「よみうり寸評」は・・・

太宰治は日記を残していない。

<日記というものは、あらかじめ人に見られる日のことを考慮に入れて書くべきものか、神と自分と二人きりの世界で書くべきのか>◇自分のための記録といいつつ、頭のどこかで公開を想定してしまう。その加減が難しいのだ。

と記しているそうです。

 

でも、過去には沢山の日記があり、日記として文学的に価値あるものが多く残っています。

中身がないものや駄作は消えて行って当たり前ですが、ただ、天災や、世相を記した日記は記録として、資料としての価値も大なので、無駄な日記は、存在しないのではないでしょうか。

 

私の日記のような日記は・・・文章の上手下手は別にして本人が日記を書くことに意義を見出している場合は、それはそれで良いとして下さい。

 

夕刊の8面にはオリンピックの開会式のニュースが載っていました。

日本時間の7月27日の午前2時半から開会式が始まるそうです。

パリのセーヌ川で。

「あれよ、あれよ」と言っている間に、オリンピックも始まり、終わってしまうのでしょう。

 

ネットニュースで目に付いたのは、宮城野部屋、元横綱白鵬の処分で閉鎖案…伊勢ヶ浜一門が対応を協議 (msn.com)

私の意見としては、宮城野部屋は閉鎖をした方が良いと思っています。

例え、存続をしたとしても国技としての相撲を理解していない元横綱白鵬では無理です。

今は、一日も早く日本人の横綱が誕生することを祈るのみです。

 

最近、切実に思うことは、同じ生きるんだったら前向きに生きるということ。

そして、自分が生きていることによって周りの人達に安らぎを与えることが出来るか、どうか、ということです。

出来たら、良いですね。

 

かけふ日記 (hateblo.jp)