今日の日記は、コメントの投稿にお答えすることから始めます。
かずさん、そうなんですよ。 松山容子さんです。
日記を書き終り、「もしかして恵子と書いたのではないかな?」と思いましたが、まさか間違えることはないだろうと確かめませんでした。 失敗。 失敗。
私は当時のテレビ番組「琴姫七変化」の大ファンで毎週、見ていました。 生まれが良くて上品な女優さんでした。
結婚、引退の時はガッカリしました。
テレビ時代劇「琴姫七変化」 の 動画
八尾さん、ボンカレーの看板の写真、ありがとうございました。
懐かしいですね。
私がウールマーク付きの冬物をしまう時は、透明はポリ袋に樟脳と共に畳んで入れ、掃除機で中の空気を吸引してペッチャンコにして、口を輪ゴムでとめて衣装ケースに詰め込んで蓋をしておきます。
半年後、ポリ袋を開け、ウール製品を日に当てたら元通り。
毎年、私はこのようにしています。
岬さん、「つづく」ですか? 次回も、その次の次回も、楽しみにしています。
学生運動をしていた彼に処女をささげる時、登紀子は白いドレス着て行ったそうです。 純で良い話しですね。
男好きの変人さん、四天王寺での私の思い出ですか?
今から40年超前から2年半前まで、私が住んでいたマンションは天王寺区勝山にありました。
新世界に行く時、「スナック誠」への行き帰りも、「スナックかけふ」への行き帰りも、何時も岡ちゃんと一緒に四天王寺の境内を通っていました。
岡ちゃんはチャリンコを運転し、私は後ろに乗っての2人乗り。
ある時は喧嘩をしてマンションを締め出され四天王寺の境内で一人、野宿をしたことも。 それも、何度か。
雨の日も、風の日も、あべのハルカスを見上げながら、「完成は、まだか、まだか」と通った道。
毎日、店の帰り(深夜)、小さな聖徳太子の像と、と小さな釣鐘の前で、チャリンコを降り、二人交互に、「今日は一日、ありがとうございました」と、手を合わせた日々。
四天王寺近辺で、お互いに怪我をしたことも。
岡ちゃんのしんどそうな様子を見て、そろそろ、店をやめる潮時かなと思ったことも何度か。
四天王寺は、岡ちゃんと私が一緒に暮らした40年が凝縮された所です。
月が綺麗な夜も、台風が荒れ狂う夜も、夜桜が吹雪のように舞う時も。
私にとっては一生、消えることのない魂の、命のふるえる思い出の地です。
変人で未熟で生意気だった私に約40年もの長き間、付き合ってくれた岡ちゃんには、感謝、感謝です。
話しは変わります。
テレビを見ていたら言っていました。
「何千年も前に造られたピラミッドの中に書いてあったそうです。 『今時の若い者は』と。 時代は移り変わっても、人間は同じです。 進歩をしているようで、していないです」と。
温故知新・・・・
地球上の長い歴史の中、世の中を何度となく襲った伝染病。
伝染病(コロナウイルス)の脅威も今、始まった事でもなし、のんびり行きましょう。
小さな幸せを見つけ拾いながら、紡ぎながら。
明日も、素晴らしい夢あふれる一日になりますように。